宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

2017年を振り返って

 介護士としていろいろ体験した一年でした。ケアとは何かを改めて考えています。特に高齢者ケアの現場では、どういう日々を過ごしたいのかということは、いかに死に向き合うかであり、突き詰めると「生きるとは何か」、「人間とは何か」の問題になります。老いの道を認知の病を抱えながら、日めくりカレンダーのように一日一日を刻んでいる利用者さんの近くにいると、生きること、死ぬこと、人間であることへの問いが、観念でなく喉元に言葉となってふつふつと発してきます。

 観ることの根源性にも気づかされました。私はまだまだ、利用者さんを観れていません。身体を観ることで何を観るのか、何を観たらいいのか、考えています。介護は食事介助、排泄介助、入浴介助が基本と言われます。心のケアの部分、コミュニケーションの重要性も言われます。

 前者は、もっとも基本的欲求部分(マズローの第1段階、生理的欲求)の充足を支援することに関わります。日常的生活動作(ADL:Activities of Daily Living)と言われる部分です。もう少し複雑な日常的生活動作が、IADL(Instrumental ADL)で、買い物、料理、電話をかける、乗り物に乗るなどの動作があります。IADLまでが簡単な介助で可能になっていれば、軽度の認知症状があっても家族の見守りがあれば、家庭での生活は可能です。

 リハビリや介護予防にあたって大切なことは、なぜそれをやるか、本人にその動機づけが出来ていることです。出来なくなったことを訓練することで何を実現したいのか、どういうことをやりたいのか、具体的イメージが描けているかどうか。エリクソンの自我発達論では、第2段階(2~4歳)が排泄行為に代表される「身体を律する」仕方(自律)を学ぶ時期にあたります。この時期に達成するvirtue(徳を実現する力)が意志です。この段階に失敗すると、自分の能力への「疑惑」の感覚を抱くと言われます。確かに、排泄行為を律しているかどうかは、高齢者にとって、「自分はまだやれる」という感覚の根源をなしていると感じます。

 身体とこころとの結びつきを、理屈でなく、実例を通して考えさせられた一年でした。

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