宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

ギリガンのケアの倫理1)「正義の倫理」と「世話の倫理」

 


 昨日は、夏の間お休みだった生け花の会があり、久しぶりにお花を活けました。茶色に紅葉したモミジと白いトルコキキョウ、黄色い葉鶏頭に八つ手の葉っぱ。色合わせは活けているときは、地味に感じましたが、家に戻って玄関に活けたら驚くほどの華やかさ。生け花は活ける場所とのコラボなんだと、改めて気づかされました。芸術作品も本来は場所とのコラボだったものが、美術館のような特定の場所で観賞するものという「約束」がいつの間にか当たり前になっています。

             f:id:miyauchi135:20170930225038j:plain                f:id:miyauchi135:20170930224855j:plain            男女共同参画支援室の交流室でお稽古していますが、広い空間と自宅の玄関では花の雰囲気が異なりました。

 美術作品の「自立」という方向性と自我の自律の理念が重なって感じます。ギリガンのケアの倫理は、どこまでも関係性の中にある「私」の道徳的発達を追求したものです。これは女性被験者のジレンマへの対応の中に、明瞭に表れています。

 ギリガン(Carol Gilligan1936~)はE・H・エリクソンに学んだ後、コールバーグの指導のもとに、青年期のアイデンティティ形成及び実生活上の道徳的葛藤を扱う研究をしていました。その中で、普遍的な道徳性の発達段階を唱えたコールバーグに対し、二つの点から批判を展開しました。第一は文脈的相対主義の問題です。第二は女性の道徳性の発達の問題です。

 文脈的相対主義の問題とは、コールバーグが文脈相対主義者たちを4と2分の1段階(4段階から5段階への移行段階)と評価した問題です。これに対しギリガンは、文脈的相対主義は、もっと高い水準にあると考えています。なぜなら文脈相対主義の問題とは、成熟した成人期の道徳的判断そのものの問題でもあるからです。大人が直面する道徳的状況は一般的原理と葛藤を生じる(嘘を言うことは悪いことですが、正直に「あなたの歌は聞くに堪えない」と言うのが望ましいわけではありません)ことがよくあります。その後ギリガンの関心は、むしろ女性の道徳性発達に向けられているので、以下では1982年に出版されて大きな反響を引き起こした『もうひとつの声』を参照しつつ、その問題を取り上げることにします。

 ギリガンはコールバーグの理論が男性を中心に構成されたものと批判しました。コールバーグ自身、彼の最初の理論構想の目的は、道徳性の発達を引き起こす要因として仲間集団への参加と、父親との同一視に関する仮説を検証することであったと言っています。ギリガンは、コールバーグが理論化しなかった「もう一つの」発達の道筋を提示しようとしました。ギリガンは女性を被験者に、道徳的ジレンマ(コールバーグのモラル・ジレンマや実生活上のジレンマ)や自己の捉え方に関する面接を行いました。そして、ギリガンは二つの声それぞれに「正義の倫理」、「世話の倫理」という名前をつけて、両者の比較をしました。まず、よく引き合いに出されるハインツのジレンマに対するエイミーの回答をみてみましょう。ここではエイミーの回答と、同じ11歳の男の子(ジェイク)とのそれを比較検討しています。

 【エイミー】:そうねえ。ハインツは盗んじゃいけないと思うわ。ハインツは、そのお金を人に借りるとか、ローンかなんかにするとか、もっと別の方法があるんじゃないかしら。ハインツは絶対その薬を盗んではいけないわ。でも、ハインツの奥さんも死なせてはいけないと思うし。(なぜ盗んではいけないと思いますか)。だって、もしハインツがその薬を盗んだら、確かにその時だけは奥さんを助けることができるわよ。でも、もしそうしたらハインツは監獄に行かなければならないかもしれないし、そうしたら奥さんは前よりも病気が重くなってしまうかもしれないわ。そうなったら、ハインツは、薬よりも大事なものをなくしてしまうことになるじゃないの。こんなことはちっともよくないわ。だからハインツたちは人に事情を話して、薬を買うお金をつくるなにか別の方法を見つけるべきだと思うわ。

 これに対してジェイクは、ハインツは盗むべきだというはっきりした回答を最初から持っていました。なぜなら、彼はハインツのジレンマを財産と生命という価値観の葛藤問題として理解し、生命に論理的優先権を与えたのです。論理に魅了されているジェイクは、道徳的ジレンマは人間についての数学問題に類するものと考えています。

 しかしエイミーは、ジレンマの中に数学の問題ではなく、人間に関する、時間を越えて広がる人間関係の物語を見ています。「正義の倫理」は道徳問題を諸権利の競合から生じるものとし、形式的・抽象的な思考で諸権利に優先順位をつけることでこの問題に解決を与えようとします。ここでの自己の概念は、分離されたものであり、その自分自身から始めて、やがて「ほかの人たちと一緒に生きていかなければならない」ということを認識して、妨害を制限し、損害を最小にする規則を見つけようとします。この立場での責任は、行動を制限することや攻撃を抑制することに関わります。すなわち、ジェイクにとって責任とは「他人のことを考慮して自分のしたいことをしないこと」なのです。なぜなら、彼によると攻撃性の表出によって人は傷つくからです。

 しかしエイミーにとっては「自分のしたいこととは無関係に、他人が彼女にしてもらいたいと願っていることをすること」が責任の意味することです。なぜなら、自分の要求が答えてもらえないとき人は傷つくと、彼女が考えているからです。エイミーは、他人との結びつきを前提にして分離の変数(結びつきが同時に分離であるような条件)を求め始めます。以下、次回にまとめたいと思います。

h-miya@concerto.plala.or.jp