宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

コールバーグの道徳性の発達段階論3)

 私たちが通常道徳として受け止めている規範レベル、それが慣習的水準と呼ばれているものです。一言で言えば、この水準は現状維持を前提としています。そしてこれもコールバーグは2段階に分けます。

〔慣習的レベル〕

 個人の属する家族、集団、あるいは国の期待に添うことが、それだけで価値があると認識され、それがどのような直接的結果をもたらすかは問われません。さらに、社会の秩序に対する忠誠心、その秩序の積極的維持と正当化、所属集団への同一化傾向が見られます。

<第三段階――対人関係の調和あるいは「良い子」志向>

 善い行動とは、人を喜ばせ、人を助け、人から承認される行動です。多数意見や「自然な」行動についての紋切り型のイメージに従う傾向があります。「善意でやっている」ことが重要であり、「良い子」であることによって承認を得ます。

【動機づけ】・賛成:薬を盗んでもハインツを悪い人間だと思う人はいないでしょうが、盗まない場合は、家族の者は彼を人でなしの夫と思うでしょう。

      ・反対:みんなから犯罪者と考えられてしまいます。自分の家族や自分の顔に泥を塗るような行為をしたことを後悔するでしょう。

<第四段階ーー法と秩序」志向>

 権威、定められた規則、社会秩序の維持などへの志向が見られます。正しい行動とは、自分の義務を果たし、権威を尊重し、既存の社会秩序を、秩序そのもののために維持することです。

【動機づけ】・賛成:結婚するとき、人は妻を愛し、大事にすると誓います。結婚は愛情だけではなく法的契約に似た一つの義務でもあるのです。

      ・反対:法律上、財産の権利の侵害は悪です。刑務所に入れられ冷静になったとき、自分の不正と法を犯したことに対する罪の念を常に感じることになるでしょう。

 この第3段階と第4段階の順序は、自律に向かう正義原理からは納得しますが、人間関係を重視する立場からすると、第4段階は「杓子定規」になります。

〔慣習以後の自律的、原理的レベル〕

 このレベルでは、道徳的価値や道徳原理を、集団の権威や道徳原理を唱えている人間の権威から区別し、また個人が抱く集団との一体感からも区別して、なお妥当性をもち、適用されるようなものとして規定しようとする明確な努力が見られます。

<第五段階ーー社会契約的遵法主義志向>

 正しい行為は、一般的な個人の権利や、社会全体により批判的に吟味されて合意された基準によって、規定される傾向があります。個人的価値や意見の相対性が明瞭に意識され、合意に至るための手続き上の規則が重視されます。「法の観点」が重視されるのですが、第四段階とは異なって法を固定的には考えません。社会的効用を合理的に考察することにより、法を変更する可能性が重視されます。

【動機づけ】・賛成:薬を盗まず妻を死なせるとすれば、それは恐怖心の結果です。したがって自分の自尊心を失うとともに、他の人々の尊敬をも失ってしまうでしょう。

      ・反対:共同体での自分の地位と尊敬を失い、法を犯すことになります。感情に流され、長期的展望を忘れてしまうと、自尊心も失ってしまいます。

<第六段階――普遍的な倫理的原理志向>

 正しさは、論理的包括性、普遍性、一貫性に訴えて自ら選択した倫理的原理に一致する良心の決定によって規定されます。これらの原理は、人間の権利の相互性と平等性、一人ひとりの人間の尊厳性の尊重など、正義の普遍的諸原理です。

【動機づけ】・賛成:薬を盗まず妻を死なせてしまったら、人から非難されず、法を犯すことがなかったとしても、自分自身の良心の基準に従わなかったことで自分を責めることになるでしょう。

      ・反対:薬を盗めば、人からは非難されなくとも、自分自身の良心と誠実の基準に従わなかったという理由で自分自身を責めるでしょう。

 第5段階・第6段階は倫理学的理論のレベルと考えていいでしょう。第5段階がいわゆるコンプライアンス、遵法主義が目指しているものです。第6段階は、現実にはなかなか実現できないと言われています。

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