宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

インフォームド・コンセントとニュールンベルク倫理綱領

 昨日の授業で、インフォームド・コンセントを扱いました。インフォームド・コンセントとは、十分に治療や実験の内容を理解した上で、患者あるいは被験者が同意を与える、あるいは治療や実験を拒否することです。現在、医療の現場でごく当たり前になりつつあります。これは患者あるいは被験者の自己決定権を尊重する考え方ですが、前提には自律尊重に関する近代的理解があります。カントは人間の尊厳を、道徳を自己立法する自由意志に置きました。一方功利主義では、各人の幸福は各人が一番知っているので、各人の自律的行為への不干渉こそが、社会全体の進歩と幸福の総量を増すと考えます。

 このインフォームド・コンセントには二つの流れがあります。一つはナチスの人体実験への反省から、10項目のニュールンベルク倫理綱領として確立され、ヘルシンキ宣言につながっていったもの。人体実験には被験者の同意が必要という原則は、近代医学の発展の中、19世紀末から次第に確立されてきましたが、これが国際的に宣言されたのはニュールンベルク医療裁判においてでした。その後、ニュールンベルク倫理綱領を受けて、1964年に世界医師会はヘルシンキ宣言を出し、何度か修正追加が加えられてきました。

 もう一つは治療における患者の同意の必要性で、19世紀末頃から欧米の裁判の判例に現れて来ているものです。特に1950年代のアメリカで巻き起こった黒人の公民権運動の拡大として、1960年代から始まった患者の人権運動の中で、考えが深化し定着して行ったものです。インフォームド・コンセントという言葉が初めて使われたのは、サルゴ対スタンフォード大学理事会訴訟の判決(1957年)においてでした。この言葉は、医療裁判の規準の法理として生まれました。その後、ニュールンべルク倫理綱領で確立された倫理基準に基づく法理が取り入れられて、1970年代初め頃に定着しました。日本に入ってきたのは、1990年代です。1997年の医療法改正で、「説明と同意」義務が法的に明文化されました。インフォームド・コンセントの前提条件に付いては、次回に書きます。

 どちらにもニュールンべルク倫理綱領が大きな影響を与えています。これはナチスドイツが、第2次世界大戦中の強制収容所で行った虐殺や人体実験を裁く医療裁判の中で確立されました。ドキュメンタリー映画『夜と霧』(監督 アラン・レネ、1955年)は、ユダヤ強制収容所でのユダヤ人虐殺(ホロコースト)を淡々と告発した映画です。でも、モノクロの戦時中のフィルムは、観ていて気持ちいいものではありません。32分の映像ですが、今なお、ホロコーストを描いた映像で『夜と霧』を超えるものはないと言われています。

 このドキュメンタリー映画の題名は、ヒトラーが発した命令(総統命令)の一つである「夜と霧」(法律)に由来します。この法律の名前は、ヒトラーが好きだったワーグナーの作品から引用しています。ナチスにとって邪魔な政治犯を密かに収監して、跡形もなく消し去ります。まさに、「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように!」(リヒャルト・ワグナー『ラインの黄金』第3場「ニーベルハイム」でアルベリヒが唱える呪文)そのままです。法律の名前の取り方自体、ヒトラーの狂気を象徴するようで、不気味です。

 授業では、「気持ち悪かったら観なくていいからね」と断った上で、後半10分くらいを主に観てもらい、その上で、ニュールンべルク倫理綱領を説明しました。綱領自体はある意味、現代では当たり前の内容であり、その意味で、読み流してしまうところがあります。少しでも背景を感じ取って欲しいと思ったからです。

 「当たり前」に辿り着いたことも、ローティーに言わせれば、幸運な歴史の偶然なのかもしれません。であれば、大切に受け取っていかなければならないと思います。

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