宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

笑いの効用

 昔から「笑う門には福来る」と言いますが、ある利用者さんが、私が笑ったら「なんで笑うんだよ」と怒り出しました。その利用者さんを笑ったのではなく、その場での他の人との話の中で笑っていたら、そういう反応を引き起こしました。そのときは、驚いてしまいましたが、別の機会に「笑われるのが嫌いなんですね」と聞くと「そうだよ」とぶっきらぼうに応答が帰って来ました。ご本人も、他の人とは笑いながら話をしたりしていますが、どうも状況が理解できないまま、笑いが生じていると、自分が笑われたと思うようです。

 笑うということには、「笑う者」と「笑われる者」の分離があり、「対象化」が生じていて、それは人間だけが為し得ると言われます。そこに笑う側の優越性を指摘する人もいますが、そこまで言わなくても笑う主体の安定性は必要だと、河合隼雄さんは指摘しています。心に余裕がないとなかなか笑いは出てこない。笑わせる人がいて、緊張がほぐれる場合もあれば、笑われたと感じて、相手の心の余裕を感じ取って嫌な気分になる場合もあるのかもしれません。4歳の姪が、大人たちが彼女の行動を面白がって笑ったら、泣きだしたことがありました。大人たちは彼女の可愛らしさへの賞賛も込めて笑ったのですが、笑われた方はショックだったようです。

 しかし、子ども自身の笑いは「対象化」とは無縁に見えるとも言われますし、その状態への喜びの表現としての笑いもあるのではないでしょうか。笑いは健康にもいいと言われていますし、動物にも笑う状態はあると言います。動物をくすぐると笑い声をあげたり、じゃれ合って遊んでいるときに出すような鳴き声、快の感情を表出する鳴き声を上げるようです。ただそれが伝染はしないようですが。

 母親や兄弟から引き離された孤独ラットを対象にして、くすぐり刺激を2週間与えたグループと与えなかったグループを作ります。そのあと、電気刺激で痛みが走ると同時に音が鳴る、という条件付けをします。そうすると音が鳴ると恐怖ですくむという条件反射が起こりますが、くすぐり刺激を与えられ続けたラットでは、そうではないグループのラットよりも「すくみ」の回数が少ないという結果が出たそうです。笑うことで恐怖の記憶が和らぎ、ストレス反応の緩和が考えられるとか。

 糖尿病の患者さんが食後に漫才で爆笑したときには、単調な糖尿病についての講義を聞いたときに比べ、食後血糖値が大幅に抑えられたという実験結果も出ています。笑顔を作ると、別に楽しいことがなくても、表情を作ることで脳は笑っていると錯覚して気分がほぐれてくるようです。確かにそうかもしれません。「作り笑顔」にも効果がある。

 ここで、『薔薇の名前』という大分前に観たショーン・コネリー主演の映画を思い出しました。舞台は中世イタリア、禁書とされたアリストテレスの『詩学』第2巻(現存しません)が実は存在していて、それをめぐって殺人事件が起きるという話です。この書は喜劇、笑いについて書かれていて、神の権威(教会の権威)を守るためには存在してはいけない書だったわけです。「笑い」は恐れを笑い飛ばし、神を必要としなくなるから、ということのようですが。「笑い」にある権威を吹き飛ばす力が、恐れられたのでしょうか。原作者は記号学者であり中世思想家でもあったイタリアのウンベルト・エーコです。2016年2月19日に亡くなっています。

 人は笑われることを嫌うが、笑わせることを好む傾向がある、とも言われます。「笑い」は不思議な力を持つんだなあと思っています。

h-miya@concerto.plala.or.jp