宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

ニーチェの道徳批判3):「主体」という虚構

 19、20日はひたちなか祭です。今日は、午後4時過ぎから雲行きが怪しくなり、雷が鳴り出し一時停電しました。その後、ピカッと光ってから数秒でゴロゴロドスンと何回か雷が落ちていました。煙の薄い絨毯のような雲が西から東へと風に流され、土砂降りの雨が20分から30分くらい降りました。5時20分頃には雨は止んでいて、お祭りは中止にはならなかったようです。でも肌寒い一日でした。

 さてニーチェの道徳批判の続きです。道徳の価値評価には「よいと悪い」「善と悪」の二つがあり、それは力への意志の二つの質の徴候であるとニーチェが解釈したことは書きました。次は「善と悪」という評価形式を持つルサンチマンの道徳がなぜ勝利したのか、そこのところです。一言で言ってしまうと、「主体」概念を虚構し、力のコントロールは可能であるという考え方を打ち出し、強さをコントロールできないことを恥じる体制を作り出したことによってです。

 活動と活動者を分けることで、活動するもしないも自由という発想(虚構)を生み出し、弱者の弱さそのものが随意の所業、意欲され、選択されたものであるという美徳の装いを身につけ、強さが強さとして現われることは悪と解釈されるようになりました。さらにこの虚構は強い力に対し、自らを恥じ入らせる罠ともなったのです。力が力として現われるという現実をコントロールできるとする、「あの選択の自由を持つ超然たる<主体>に対する信仰」をニーチェは告発します。

 この「主体」は、デカルトによって明確に打ち出された「精神としての私」に結実したものですが、ニーチェはその発明者は僧侶階級であると言います。僧侶階級とは否定意志の体現者ですが、彼らは<自己ならぬもの>に対し否を言います。この否定こそが彼らの創造行為であり、彼らは活動と活動者を分けることで、活動するもしないも自由という発想(虚構)を生み出しました。弱さそのものが意欲され、選択されたものであり、強さが強さとして現れることは悪なのです。力をコントロールできるという考えが、「選択の自由を持つ主体」という信仰によって展開され、かくして弱い力は自己を(強さをコントロールできる私として)肯定し、強い力を否定することが可能となりました。

 ニーチェの奴隷道徳、弱者の道徳の解釈の要は、この差異に対する肯定か否定かにあると言えます。ニーチェが「強者・貴族vs.弱者・奴隷」という表現で語るものは、この自己肯定の有無を巡っているのであり、単純に「現実的な力」の強弱ではありません。そして、ニーチェは強さvs.弱さの二分法(ディコトミー)を使って、歴史的事象を評価する試みをしましたが、この二分法は、ナチスによって自分たちの政策を正当化する理論に援用されてしまいました。これは、歴史の中に創造性を取り戻すため、画一化の圧力から人間精神を解放するための虚焦点として立てられたものが、現存の歴史的存在者解釈に流用されたとも言えます。しかし、ニーチェの「強さ」や「高貴」はケアの倫理が立脚する「傷つきやすさ」を排除しません。むしろ、強い類型ほど、繊細で傷つきやすい、壊れやすいとニーチェは語ります。

 ハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、公的領域と私的領域を区別しました。社会的領域とは、私的領域の特質である生存の必要性という基準が、公的領域に浸透していったとき成立したと言われます。公的領域は他者に卓越することを競う場であり、そこの基準は複数性です。そしてこの領域は、必要性からの自由によって特徴づけられ、ここで働く規範は、各人の自由とそれを保障する複数性としての正義です。

 このヨーロッパの思想の根底に流れる公的領域である自由の領域への高い評価、そこで生きることが人間として生きることであるという考え方は、連綿と地下水脈として流れ続けてきたのではないでしょうか。だからこそ、ニーチェは画一主義に抗して人間を解放しようとしたとき、能動的・主体的卓越性に第一義の価値を置いたのではないか。

 ニーチェの「力」や「力への意志」という概念が持つ強・弱が意味するものは何か。そこに単純に、現実の強・弱を読み込んではいけないと思います。ニーチェが批判したのは、「画一化への抑圧」であり、差異の否定への時代の傾向(あるいは人間の歴史の傾向)であって、そこに潜む道徳的圧力を解体するために、力の概念で記述したと考えられます。  

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