宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

『北のカナリアたち』:教師と教え子

 吉永小百合の北の三部作の2番目にあたる『北のカナリアたち』(2012年)を、DVDで観ました。原案は湊かなえ『往復書簡』の中の1作「二十年後の宿題」です。吉永小百合仲村トオルの年齢差を指摘して、吉永小百合の役柄じゃないという書き込みなどもありましたが、オペラや舞台劇考えたら、私にはそれほど違和感はありませんでした。

 話の舞台は、北海道最北端の離島の分校。6人の子どもたちと先生の話です。彼女は『二十四の瞳』のリメークをいろいろな形で提示されながら、高峰秀子の演じた大石先生は自分にはとてもできないという思いで断ってきたとか。この『北のカナリアたち』は、教師の教え子に対する思いという精神は同じだと思うと、書かれていました。

 20年前、離島の分校で子どもたちに歌うことを教えた川島はる先生が、子どもたちと合唱しながら夏の北海道の草原の中を歩く場面は、『サウンド・オブ・ミュージック』を思わせます。そして彼女の教え子を救って、潮にのまれて亡くなった夫の事故をきっかけに、はる先生はそのとき他の男と会っていたという噂が広がり、分校を去ります。20年後、その時の教え子の一人が殺人事件を起こしたと、東京に住む彼女のもとを刑事が訪ねてきます。はる先生は、真相を確かめるため、かつての教え子たちを訪ねて、北海道を歩きます。最後に、はる先生の父親の住む離島に戻り、かつての分校で6人が揃ってはる先生の「授業」を受ける大団円。最後は涙なしには見られませんでした。

 教師と教え子という関係は不思議だなと思います。私にも恩師と呼ぶ方たちが何人かいます。学校以外で「恩師」と呼ぶ存在に会う人もたくさんいると思います。人生の先輩というのとも少し違って、ただ教えを受けた先生というのとも違って、言葉そのままに「恩を受けた師」なのだと思います。恩を受けていることは、もしかしたらその時には分からないまま過ぎてしまうのかもしれません。気づかないまま終わってしまうのかもしれません。それでも、何年も過ぎて分かることもあり、そういうことは他にもあるんだろうなあ、今も気づかないまま、と思います。だからこそ、受けた恩のペイフォワード(先送り)なのでしょうね。私は教師としてそういう存在でありえたのか。 

h-miya@concerto.plala.or.jp