宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

アカシアの雨がやむとき

 共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が参議院を通過し、7月11日にも施行されるというニュースを見ました。特定秘密保護法、安保関連法と、国民の多くの不安と反対を押し切っての法律の成立施行が続いています。

 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」を聴いていました。「アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい」で始まる歌詞を聴いていると、60年安保世代の挫折感が、身に染みてきます。70年安保の時代に私は高校生で、まだまだどこか他人事だったと思います。

 昨日の街の人へのインタビューの中で、30代の男性(奥さんと子ども連れ)が、仕事に追われていて、そんな集まりを持つ(共謀する)ような時間もなく、自分には関わらないことだから、というように答えていました。彼は選挙には行っているのだろうか、とふと思いました。自分に時間がないからこそ、政治家に政治を託すわけですが、政治に関心がなければ選挙もどうでもいいことになります。

 有権者を恐れなくなった政治家は、歯止めを失って、権力の僕になります。政治権力には反対勢力が必要です。バランスを失した権力は暴走します。よく野党は反対をするだけでと批判されますが、反対をすることが野党の存在意義であり、市民のレジストは当たり前のことだと思います。なぜなら、絶対に正しい政権などないのだから。

 おそらく次は、憲法改正だろうなあと思います。これは国民にとって、なんとでもできる問題です。どう向き合っていくのか、それが問われています。普通選挙権がなかった時代なら、自分たちにはどうしようもなかったと言えたかもしれません。でも、今は違います。結果は私たちに降りかかり、その責任も問われることになります。

 でも今は、「アカシアの雨のやむとき」の西田佐知子、藤圭子ちあきなおみのそれぞれを聴き比べることにします。

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h-miya@concerto.plala.or.jp