宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

ボランティア

 仕事場の施設に、高校生がふれ合い祭に参加するための打ち合わせに来てくれました。彼らは実行委員会を立ち上げ、イベントを企画して参加してくれます。今回は2回目の参加で、実行委員が26名います。その他にも当日ボランティアも大勢参加してくれるようです。

 イベント企画の第1回目、4つのグループに分かれて、ポストイットを使って企画案を書きだす作業から始めましたが、いろいろな企画が提案されました。そのうち上位3つを各グループで決めてもらい、次回までにそれぞれをもう少し具体的なものに膨らませてくることになりました。

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 市民活動でもいろいろ企画を練りますが、高校生たちは楽しそうに作業をしていました。ボランティアは、自分の意思での参加ですが、活動の難しさを感じることが多くあります。特に政治に関わるような市民活動の場合、純粋に活動目的のために結成されるので、どうしても真面目さが前面に出てきます。ニーチェいうところの「重力の精」とこの精が創造した一切のもの、「強制、規定、必至と帰結、目的と意志、善と悪に再会した」(『ツァラトゥストラ 下』「新旧の諸板について」)という状況になりがちです。参加している人たちも、それぞれの思いを譲り難く、関わり方が難しい。かくいう私も、こういう場面に参加すると、自分の思いに拘っているなあと思います。

 ボランティアの目指すものは何なのか。自分の意思で社会に関わりたいと言うことだと思いますが、それだけにその関わり方に自分の流儀を貫きたいという思いも強くなります。義理や強制でなく主体的に社会に関わる人が増えることは、社会が真に生きる場になるために必要なことだと思います。ただボランティアが根付くためには、成功事例の後追いはおそらく破たんすると思います。それより、ボランティアの精神とは何か、そしてボランティアの実践例の検証から、どうすると失敗するかを押さえておく必要があるのではないでしょうか。

h-miya@concerto.plala.or.jp