宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

民主主義は歴史の真理

 24日、憲法のつどい実行委員会がありました。5月3日のつどいの総括をしました。上映したドキュメンタリー映画『不思議なクニの憲法』(監督 松井久子)へのアンケートの中に、憲法への関心が広まらないことへの挫折感や日本の民主主義の先行きへの不安感も書かれていました。日本の民主主義、敗戦後の民主主義の導入ということで言えば、まだ70年です。民主主義が定着するのは、そんなに簡単な道のりではないと思います。これからもしかしたら状況はますます悪くなってゆくかもしれない。でもその泥沼を超えてゆかなければならないのだと思います。

 西洋発祥の民主主義は、本場ヨーロッパにおいて、古代ギリシアに始まり、時間をかけて熟成したものです。必ずしも暗黒時代という言い方は当たらない中世の長い時間。カロリング・ルネサンスは、8世紀末から9世紀初めにかけて、フランク王国で起こった古典文化復興運動です。しかし、中世は教会や封建領主が支配した時代です。続く絶対王政の時代。それら支配層との格闘の中から、思想変革、政治的な血の革命を経て、民主主義は市民の間に徐々に広まっていきました。

 日々、挫折感を覚えることは多いです。戦後民主主義がとても根付いたとは言えない状況の中、特定秘密保護法に始まる自由への見えない制約の始まり。安保関連法の成立施行、そして今回の共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の衆議院通過。でも、安倍内閣の支持率は、50%を切らない。これって何なのだろう、とやはり思います。数の力で押し切るやり方に、一般の人たちがそれほど敏感に反応しているとは思えない状況は、何? 諦め? 内田樹さんは、日本人の中にあるアメリカ依存体質を指摘します。日本人には「主権者である」という実感がない、と。

 非西欧社会における民主的(政治的)運営に関して、ネルソン・マンデラは少年の頃の思い出として、民主的な集会の在り方への感銘を自伝で述べています。民主的運営の仕方は、それぞれの文化の中にあったのだと思います。それと西欧流の民主政治の導入・強化における軋轢は、日本においても、現在喫緊の課題になってきているのでしょう。

 民主主義は歴史の真理だと言ったのは、オルテガ・イ・ガセットです。理性の真理とは別の真理がある。生命には、個人の流れと生命それ自体の流れがあります。個人の生命の真理は、理性によって導かれる部分が大きいかもしれません。しかし生命それ自体の理に適った在り方は、私たち一人ひとりの合理性の観点からは見通せない部分もある。歴史の真理、という言い方はそのことを言っていると思います。

 主権者という意識の前に、「私」の意識の成立もあいまいなのかもしれません。「私たち」のままで、日常生活は回ってきている。こういう状況の中、一人ひとりの「自己決定権」を大切にして、という医療や介護の現場の方向性はどこか空回りしている感じがします。ただ、それは私の感じる挫折感であり、あるべき方向への思い(希望)は託せるものだと思っています。黙々と眼の前のことに携わりながら、希望を持ち続けることで、世代を超えた真理は生き続けるのだと。「民主主義は歴史の真理」というオルテガの言葉を、私は「生命」の観点からも、理に適っていると考えています。

 映画を見た人たちの中から、自分たちでも自主上映をしようという動きが出て来ています。それは、憲法のつどいの大きな収穫だったのではないでしょうか。

h-miya@concerto.plala.or.jp