宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

介護と看護

 看護学校で哲学の授業を担当しています。「看護理論と哲学」の章を読んでいると、まるで介護の理論を読んでいるような気になりました。ヘンダーソンの基本的看護の構成要素など、これは介護そのものだと思いました。

1.患者の呼吸を助ける。2.患者の飲食を助ける。3.患者の排泄を助ける。4.歩行時及び座位、仰臥に際して患者が望ましい体位を保持するよう援助する。また患者がひとつの体位からほかの体位へと身体を動かすのを助ける。5.患者の休息と睡眠を助ける。6.患者が衣類を選択し、着たり脱いだりするのを助ける。7.患者が体温を正常範囲に保つのを助ける。8.患者が身体を清潔に保ち、身だしなみよく、また皮膚を保護するのを助ける。9.患者が環境の危険を避けるのを助ける。また感染や暴力など、特定の患者がもたらすかもしれない危険から他の者を守る。10.患者が他者に意思を伝達し、自分の欲求や気持ちを表現するのを助ける。11.患者が自分の信仰を実践する、あるいは自分の善悪の考えに従って行動するのを助ける。12.患者の生産的な活動、あるいは職業を助ける。13.患者のレクリエーション活動を助ける。14.患者が学習するのを助ける。

 そして彼女は看護婦(現在は看護師)の独自な機能は、その人ができるだけ早く自立できるように仕向ける援助だと書いています。

 私たちの看護師のイメージは、医療の現場での医者の補助者であると同時に、患者の代弁者というものではないでしょうか。病院やクリニックと密接に結びついています。医療に関する幅広い知識と実践力を持つが、医者ほどではない。その意味で、医者の補助者という面が、クローズアップされるのだと思います。

 しかし、看護をどう学問として自立させていくかは、ナイチンゲール以来の試みであり、科学的実践としてどう位置付けてゆくのかが、問われてきました。看護の知識と医学の知識は別であるというのが、ナイチンゲールの基本的考え方でした。ではその看護の知識とは、あるいは科学的実践とはどのようなものなのか。介護の考え方は、看護理論からきているといえるでしょう。では介護と看護の違いは、人体や医療についての知識と実践技術の違いなのでしょうか。

 看護を医療現場でどう自立させてゆくかは、今も問われ続けていますが、介護もまたその専門性をどこに置くかを問われています。認知症対応にこそ介護の専門性があるという人もいます。しかし、この認知症自体がまだまだ分からない。介護とは何か。それはケアとは何か、という問いでもあります。

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