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宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

認知症とノーマライゼーション

 認知症とは何なのだろう、認知症状を抱えてもできるだけ普通に暮らせないのだろうかと考えています。

 認知症状を呈する代表的なものが、アルツハイマー認知症です。以前に読んだ『100歳の美しい脳 アルツハイマー病の解明に手を差し伸べた修道女たち』(D.スノウドン、2004年)を読み返しています。最初に読んだときに印象に残っていたのが、脳には広範囲にわたって損傷が見られるのに、アルツハイマー病の症状がまったく出なかった修道女がいたこと。その逆に脳の損傷は軽かったのに、症状が顕著だった修道女もいる、ということでした。

 クリスティーン・ブライデンさんは、『私はわたしになっていく 痴呆とダンスを』(現在は痴呆症と言わず、認知症。しかし翻訳の言葉を使うことにします)の中で、自分の脳のスキャン画像を見せて講演することを書いています。なぜなら、彼女の話を聴く人が、彼女が前頭側頭型痴呆症を抱えていることを、どうしても信じられないことがよくあるからだと。医師たちも彼女の脳の画像だけを見ていると、中程度の前頭側頭型痴呆症で、すぐにも施設入所が必要な人の脳と感じるようです。脳の状態と認知症状は、単純にイコールではなさそうです。人生経験やその人の個性・能力とも、症状の出方は結び付いている。

 D・スノウドンさんは、脳の基礎体力の違いが、症状に影響するのではと書いていました。クリスティーンさんも、彼女の主治医の分析によると、発病以前の能力がかなり高かったこと、進行が例外的に遅いこと、そして夫の素晴らしいサポートがあることが大きいようです。そしてクリスティーンさんの主治医は、先入観や一般論を投影しないで、彼女の感じ方を受け入れてくれて希望を与えてくれる、と彼女は言っています。

 認知症になると何もできなくなる、という見方は少しずつ変わって来ていると思います。それでも、認知症になりたくない、ならないための脳トレや運動や食事などが盛んに語られています。それはそうだろうなあと思います。でも、認知症になっても困らない生活環境があったら。

 クリスティーンさんが、意識的に使う言葉PWiD(ピーウィッド=パーソン/ピープル・ウィズ・ディメンティア)は、痴呆症(認知症)という病気を抱えているが、それと向き合って生きているという意味合いがあるそうです。この言葉は、痴呆症(認知症)を持つ人たち自身によるネット上の自助グループが、自称として使い始めた言葉です。クリスティーンさんが認知症を抱えていることは事実ですが、彼女はそれを自分の人生の課題として主体的に向き合っています。それを支えているのが、医師であり、サポートグループであり、家族であり、そしてケア・パートナーとしてのポールさんです。

 認知症になったらこうなってしまう、仕方ないではなく、その人らしく、社会の中で普通に生活を継続するやり方はないのでしょうか。

h-miya@concerto.plala.or.jp