宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

自分の目と他人の目の同質性

 他人のまなざしとどう向き合うかは、古今東西の人間誰しもが悩んできた問題ではないでしょうか。サルトルの『存在と無』の中の「まなざし」の分析は有名ですが、普通に日常的に気になる問題ですよね。自分が他人の目を気にしすぎると気に病んでみたり、傍若無人過ぎると他人を批判したりと。自分の中に基準を持つことと他人の評価を気にすることとは、どういう関係にあるのでしょうか。

 日本の文化を恥の文化と捉えたのは、ルース・ベネディクトです。恥の文化は集団優位の他律的文化と言われます。これに対して、罪の文化(キリスト教文化圏)は、個人が確立された、自律的道徳基準が成立している社会に特有だと言われました。しかしながら、アウシュビッツでのコルベ神父の自己犠牲的死は、絶対者(という他者)への強固な信仰無くしてはあり得なかったでしょう。自己の規準とは、どういう他者と向き合っているかという問題のような気がします。もっともカントなどは、理性信仰という視点で、普遍性から基準を考えています。いわゆる原理・原則主義です。

 森有正は、キリスト教道徳を、絶対者に向かう垂直の志向を持つと言いました。それに対して日本の道徳は水平であると。体面を重んじて「他人の目を気にする」というのは、人によって判断も異なるものに振り回されている、他律的生き方のように思えます。また、自分の基準を持たない日和見的生き方のような意味合いにも取られがちです。

 しかし、ただ汲々と他人の眼だけ気にしている場合はそうでしょうが、自敬の念と他敬の念は両立します。その可能性を展開した層に武士がいます。例えば、日本には敵をも愛せという思想は生まれませんでしたが、敵をも敬えという考え方は生まれました。武田信玄の家風をまとめた『甲陽軍鑑』には、「敵をそしるは必ず弓矢ちとよはき家にこの作法也」とあります。敵をそしるのは弓矢が弱いから、言葉で虚勢を張るんだ、というように言われています。そして彼らにとっては、敬うに値する存在こそが、敵とするに値する存在だったわけです。

 このことは武士同士の関係でも言えます。互いに敵にするくらいの存在であれ。自分を死守しなさい、たとえ法に背いても馬鹿にされっぱなしはだめだ、と。と同時にそれは相手に対しても、馬鹿にするようなことをしてはいけない、という姿勢になります。武士の名と恥を重んじる生き方を、他律的と割り切るのはむしろ誤りで、「自らを持し他を敬う姿勢との関わりにおいて理解されなければならない」(相良亨『日本人の心』48頁)と言われます。

 武士は自らを律して生きたわけですが、同時にそれを行動に示すことで自分で確信しようとしました。例えば自分が臆病でないことを、実践で示すことで納得しようとしました。そういう行動は、他人から見ても勇気ある行動になります。

「ここに、自らの心に恥じる恥が、同時に他人の目を恥じる恥ともなってくるのである」「自分の目と他人の目との同質性の理解があることも見落とすことができない」(相良亨、同書、50頁)

 武士は他人に敬意を払いましたが、その敬意がその目に対する敬意にもなっているというのです。この見解は、私にとっては「目から鱗」でした。「他人の目を気にする」というのは、他人の目を恐れ、外面を取り繕う生き方だと考えていましたから。「他人からの判断・評価>自分の判断・評価」という捉え方で考えていました。

 でも、自己への敬意と他者への敬意は両立します。自分を真に尊重する者は、対峙する他者を尊重します。そういう他者からの評価を気にします。ここにあるのは、慣れ合いではない人間関係であり、自主独立の人間同士の「人は人、私は私」の関係性です。「カラスの勝手でしょう」ではない、相対的でありながら、緊張を持って認め合う関係が可能です。キリスト教道徳の神との垂直な関係ではない、また原理・原則主義でもない、水平な関係性の中に自己を超越する道徳を作り出したのが、武士という存在でした。そこでは、自分の目と他人の目とは同質なのです。

 言われてみれば、納得する解釈です。

h-miya@concerto.plala.or.jp