宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

道徳的発達段階とごまかしーー森友学園問題から

 森友学園は小学校設置の認可申請を取り下げました。それに伴い、籠池泰典理事長が退任の意向を表明。

 森友学園は、昨年6月に、小学校建設用地として国有地を1億3400万円で取得しました。ところが、国有地取得金額をめぐる疑惑(地価評価額から86%引き)、認可申請に絡む複数の虚偽報告の疑いなどが明らかになって、不認可になる見込みでした。

 11日の朝のワイドショーでは、10日、大阪府教育庁の職員が現地調査に入って、20分くらいで引き揚げてくる様子が報じられていました。籠池氏は「原本を要求されたが、そのような通知は受けていなくて、書類が不備だと職員が引き上げた。なんなんでしょう」というようなことを言ってました。その後、教育庁側の記者会見では、「副理事長の籠池夫人が、うそを流しているのはお前らだろうと、調査の途中で職員たちの写真を撮り始め、止めてくれと言っても止めなかった。これではとても調査にならないということで切り上げた」と述べられていました。

 籠池夫妻は塚本幼稚園を経営していますが、ここでも保護者から二件の訴訟を起こされているそうです。教職員ともごたごたが続いていたようです。幼稚園の前で、小3の子どもが挨拶しなかったといって、副園長の籠池夫人から殴られ、警察沙汰になった問題など、ぼろぼろ出てきます。籠池氏は、理念を掲げた教育者と自己規定していると思います。高い道徳性の涵養も掲げていると思います。にもかかわらず、この「詐欺師的」状況は何なのでしょう。

 1928~30年になされたハーツホーンとメイの「ごまかし」についての研究では、どんな人も状況によって「ごまかし」を行うという衝撃的結果を導き出しました。この研究は、表面的に受け入れられた徳目が役に立たないことを明らかにしました。なぜなら、ごまかしをする人も、しない人と同じように「ごまかすことはいけない」というからです。籠池夫妻はごまかしていない、記載ミスです、で通してます。要は「ごまかしはいけない」と言っているわけです。ですから自分たちの行動はごまかしであるはずがない、あってはいけないわけです。

 しかしローレンス・コールバーグは、道徳的に成熟した人間は「正義の原理によって行動」し、ごまかしの頻度は下がることを示しました。彼によれば、道徳的成熟は認知的発達によって支えられています。コールバーグが主張したのは、文化や時代を超えて共通の道徳的判断の「形式」が存在することです。そして、道徳性には段階があることを主張しました。

 コールバーグが抽出した道徳の発達段階は、三水準六段階になります。慣習以前の水準は、快不快や物理的力から判断する水準です。ここに第一段階(罰の回避と力への絶対服従)と第二段階(物理的有用性から判断)が属します。次の慣習的水準では集団の期待に添うことが、それだけで価値があるとされます。ここに属する第三段階は対人関係の調和と善意を重視し、第四段階では社会秩序(法と秩序)の維持が正しさの基準になります。

 慣習以後の水準は、自律的・原理的レベルです。ここでは現実の集団の権威を超えて、妥当性を規定しようという努力がなされます。ここに属する第五段階は社会契約的遵法主義を志向します。第四段階と同じように法が重視されますが、第五段階では社会的効用を合理的に考えて、法を変更する可能性が重視されます。第四段階は現実の法を遵守することを重視し、どちらかというと法を固定的に考えます。

 慣習以後の水準の第六段階は最終レベルですが、ここでは普遍的倫理的原理が志向されます。聖人君子の段階で、現実にはなかなかこのレベルまでは到達できないと言われています。この段階での正しさは、論理的包括性、普遍性、一貫性に訴えて自ら選択した倫理的原理に一致する良心の決定によって規定されます。人間の権利の相互性と平等性、一人ひとりの人間の尊厳性の尊重など、正義の普遍的諸原理に従って自らの良心に従う段階です。単に我が道を行く、を基準とするわけではありません。その我が道が、正義の普遍的諸原理に従っているかどうかが問題になります。

 戦後の日本の教育では、自分で考えることが重視されるようになりました。しかし、日本社会の協調性を重視する基調と、この自分で考えるという路線は、まだまだ上手く統合されていない感があります。コールバーグの考え方を、ギリガンは文脈相対主義の観点と女性の道徳性の発達段階の点から批判しました。日本における「和をもって尊しとなす」という道徳性の問題も、ギリガンの視点から考えることができると思います。

 でも、森友学園問題は普遍性を重視する道徳の観点からも、日本的美徳(これを籠池氏は強調したはずなのですが)を重視する観点からも、ずれています。森友学園を持ち上げていた著名人は、何に共鳴していたのか。

 

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