宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

脳・こころ・身体

 昨今認知症にならないための生活術とか訓練法とかが、雑誌でよく特集されています。確かに人間にとって脳は重要だと、思います。しかし大切なのは「こころ」とも言われます。では「こころ」はどこにあるのでしょうか。こころは脳の機能なのでしょうか。そして身体は脳によって統御されているのでしょうか。

 脳とこころの関係について。酔っ払ったり、ドラッグを使ったりして、正常な精神状態を失うことがありますが、このときも脳は依然として機能しています。「こころ無い」と言われる行動をとってしまっているときにも、脳の基本的機能は働いています。感覚を入力して運動を出力する機能は、正常時そのままとはいかなくても、失われているわけではありません。

 逆に脳に障害が生じて、身体に麻痺が出ても、それが植物状態といわれる程重篤な状態になっていてさえ、その人に特有のこころの在り様は残っています。『あなたの声が聞きたいーー”植物人間”生還へのチャレンジ』(1992年放映、現在は植物人間とは言いません)では、身体が拘縮して声も出せない青年が、友人からのビデオメッセージに、声をあげて泣いていました。以下、小松美彦さんの『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書、2004年)から引用しておきます。

 「近年の日本の脳蘇生学では、植物状態を意識障害ではなく、『コミュニケーション障害』と捉える傾向がある。つまり植物状態の患者とは、意識や感覚は備わっているがそれを正確に伝えられない者、情報のインプットは可能だがアウトプットが不可能な者、と考えられているのである。

 対して脳死状態とは、大脳と小脳に加えて脳幹までもが機能停止した状態である。‥‥(筆者省略)‥‥ともあれ公式には、脳幹機能の有無との関係で、寿命がくるまで生きていけるのが植物状態、遠からず確実に死ぬとされているのが脳死状態である」(63頁)

 脳死・臓器移植の推進派の意見に、脳が機能停止したら人としては遅かれ早かれ機能停止する、ゆえに脳死を人の死とみなしてよいという見解があります。これは脳機能中心主義の考え方です。

 このような立場に対しては、1998年にアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校の小児神経学教授アラン・シューモンが、批判的な研究論文を発表しています。そしてシューモンは、脳は身体の統合を生み出しているのではなく、既に存在している統合性を調節しているにすぎない、というような見解を出しています。

 脳に問題が生じることに、私たちの時代は過敏に反応しているのかもしれません。それはなぜか。脳が関わる分野が、過大評価されているからではないでしょうか。脳機能中心主義の考えも認知症への過度の恐れも、情報が重視される時代の影の部分に関わっている気がします。

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