宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

HDI(人間開発指数)の成立

 前回、比較の難しさについて書きました。多くのものを比較するとき、数値化は有効な手段です。ただし、これには気をつけるべき点があります。まず作成する側として、何を数値化するのか。これは何を比較したいのか、その理由は何か、そのために注目する側面は何か、そしてその有効性の評価。

 例えば、国連開発計画(UNDP)が発表している「HDI人間開発指数)」。国連開発計画は途上国への技術協力活動を推進するため、国連の中に、資金供与機関として1966年に発足しました。1990年に『人間開発報告書』が創刊され、「人間中心の開発」という考え方を発表。個人の選択肢の拡大を開発の目的に置くという考え方です。この報告書の発案者が、マブーブル・ハック(元パキスタン大蔵大臣、当時UNDP総裁特別顧問)。ここで使われたHDIとは、社会の豊かさや進歩を測るために、これまで数字として現われなかった側面も考慮に入れようとして生まれました。HDIは、平均寿命、識字率・総就学率、GNI(一人当たり国民総所得)を使って算出されます。

 HDI誕生に関しては、アマルティア・セン(1998年ノーベル経済学賞受賞)とマブーブル・ハックの間でこんなやり取りがありました。センは、複雑な現実をHDIという一つの単純な数値で捉えることに強い疑念を表し、「荒削りで大まかな指数」になぜそれほどこだわるのか問います。それへのハックの応答は、「われわれが必要としているのは、GNP(国民総生産)と同じ程度に俗っぽい尺度なんだ。たったひとつでいい。ただ、GNPほど人間生活の社会的側面に無理解でない尺度が必要だ」と。そのとき、センの頭の中に、「人間というやつはそんなにも現実を引き受けられるものではない」というT・S・エリオットの詩の一節が浮かんだと言います。

 後日多くの人の関心をさらったHDIの成功に、センは「彼に荒削りな尺度を追い求めるのをあきらめさせなくて良かった」と告白しています。GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)はその国の所得がどのくらいあるかを示します。しかし、それがどのように分配されているかは、その数値からは分かりません。国民の健康や教育に使われるのか、軍備に使われるのかは分からないのです。その点、HDIを見ると、政府がどのような政策を選択しているかが分かるわけです。

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 左の写真はパイナップル・セージ。今が盛りとオレンジの花を咲かせています。右の写真はススキ化したレモングラスを真ん中に、右側にスイートバジル、左がパイナップル・セージ。

 次に読む側の問題として、数字はかなり客観的なものに見える、という問題があります。どういうことかというと、数字で示されると、語っている人の思わくを超えている気がするということです。確かに数字は客観的です。しかし、現実を数値化すること自体、原初的現実を加工していますし、ある側面を切り取ることで、別の側面を見えにくくしていることがあります。読む側は、そのことを常に頭の隅に置いておく必要があります。また数値の意味をどう読んでゆくのか。次にその問題を少し考えたいと思います。

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