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宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

「民主化が西洋化と同じではない理由」

 これはアマルティア・センの『人間の安全保障』(集英社新書)に収められたエッセイの題です。民主主義への批判に応えるという形を取っています。批判は二つあって、一つはいわゆる多数者支配への疑念です。もう一つが、民主主義は西洋の伝統であって、文化が異なる場合は押し付けになるのではというものです。

 これらに対して、センはどちらも民主主義を狭く解釈している、特に公開選挙という点からのみ民主主義解釈していると批判しています。選挙制度の問題は政治哲学だけでなく社会選択理論の分野でも、批判されています。投票方式に応じて異なる候補者が選ばれる。中選挙区制度と小選挙区制度を考えれば分かりやすいですよね。よって、完全に民主的な社会的決定方式はあり得ない、と考えた方がいいようです。

 「えー!」ですが、センに戻りましょう。センは民主主義の定義としてジョン・ロールズの「公共の理性の実践」を挙げます。つまり議論を通じて意思決定するプロセスと、市民にその自由が権利として保障されていることだと言います。「原則の多様性――多元主義という事実」を保障することなのだと。そう考えると民主主義は、より広い視野に立てば、「大昔から脈々とつづいてきた恒久的な傾向の一部とも理解できる」(トクヴィル)と言えます。

 事実この多元主義多様性、基本的な自由の擁護の事例は多くの社会に見出せます。その例として、ネルソン・マンデラの自伝『自由への長い道』が引き合いに出されています。そこにはマンデラが少年の頃、長老の家で開かれた民主的な集会への感銘が述べられています。

「発言したい人は誰もが話をした。‥‥‥どの人の発言も‥‥‥みな耳を傾けてもらえた。‥‥‥自治の基本は、すべての人が自由に発言し、市民として同等の価値を認められることだった」

 この「公共の論理」という視点からの民主主義の側面は、もっと考える必要があると思います。                             宮内ひさこ

h-miya@concerto.plala.or.jp