宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

力を引き出す指導

 大坂なおみ選手の快挙に、大阪だけでなく日本のマスコミが飛びついています。日本人の母とハイチ出身の米国人の父を持つ大坂選手は、3歳からアメリカに居を移して練習を重ね、20歳でテニス全米オープンで優勝しました。彼女は「二つの国籍を持つあなたのアイデンティティはどこにあるか」と聞かれて、「私は私です」と答えていました。彼女の試合後のインタヴューへの自然体の応答にも称賛が集まっています。

 私はテニスにというよりスポーツにあまり関心がなく、知らなかったのですが、大坂選手は繊細な精神をコントロールできずに、プレッシャーに負けてコート上で泣き出すこともあったそうです。そんな彼女を成長させたコーチが、ドイツ人のサーシャ・バインさん。彼は選手の心に寄り添うタイプのコーチだそうです。日本のスポーツ界のパワハラや暴力を伴う指導が問題になっているだけに、林竹二さんがかつて書いていた言葉を思い出しました。

 『学校に教育をとりもどすために 尼工でおこったこと』(筑摩書房)の序章の部分で林さんは、教師(ペダゴーグ)とは古代ギリシアで子どもたちの学校への送り迎えをした奴隷の「パイダゴーゴス」から出ている、と言っています。付き添うことこそが、教育の原点なのだと言っている。そして林さんが言い続けていたことは、付き添い続けてながら、魂の世話をすること。この魂の世話をする場が、授業だということです。

 指導者に求められているものは何なのか。改めて考えなければならないと思います。

デイサービス(通所介護)とQOL

 いる・あること(being)とすること(doing)をめぐる問題は、高齢者のレクリエーションを考えるときのヒントになります。beingのためのdoingと考えるか、doingのためのbeingと考えるかで、doingへの向き合い方が変わります。

 なぜこういうことを考えるかというと、高齢者の方たちにとってのデイサービスでの作業やレクの意味は何なのかということに絡みます。本人がやりたいことや出来ることを見つけて、やって頂きますが、「何もやりたくない」という人もいます。レクによっては、みんなが夢中になるものもありますが、じゃあそれでいいのか、ということも考えます。取りあえずそれでいいのなら、なぜそれでいいのか、ということです。

 デイサービス(通所介護)の役割とは何なのか。利用者が可能な限り自宅で自立した日常生活を営むために、日常生活上の世話と機能訓練を行うことで、次のような効果を期待するサービスです。一つ目は利用者が社会的孤立感を持たないようにすること。二つ目は利用者の心身の機能の維持。三つ目は利用者の家族の身体的・精神的負担の軽減です。サービスの内容は、食事や入浴の提供、個別的・集団的機能訓練、さらにレクリエーションなどで運動を促進したり、対人コミュニケーションを図ります。

 今いるところは、機能訓練型の施設なので、身体機能の取り戻しと維持が大きな柱になっています。これはデイケアとやることが似通っている部分もありますが、デイケアは通所リハビリテーションのことで、医療保険介護保険の対象になっています。デイケアは医師が常駐している介護老人保健施設老健)や病院、診療所などの地域医療機関で受けられます。

 このデイケアとデイサービスは、要介護1以上の認定を受けていれば、併用できますが、要支援の人はどちらか一方だけが介護保険の対象になります。要支援の人が両方受けるときは、片方は実費払い(10割負担)になります。

 デイケアの場合は、元の自立的生活に戻るためのリハビリテーションが目的ですが、デイサービスは生活介護サービスを受けることが目的であって、その目的の違いとは生活の質(QOL)の維持・向上のありようの差異と言っていいでしょう。

 QOLの問題として考えると、デイケアではdoingそのものの質の向上に主眼があり、デイサービスではbeingの充実のためのdoingであることが納得できます。こういう風に考えると、レクリエーションは(利用者もスタッフも)参加者が楽しめるものであれば、基本オーケーと言えるのでしょう。

 介護保険制度とは、医療においてQOLが重視されるようになった経緯の敷衍なのかもしれません。そして、できるだけ自宅で生活するという方向性は、もちろん財政的問題もありますが、ノーマライゼーションの思想によって根拠づけられるとも言えます。 

地方新聞の役割

 大型台風21号は徳島県南部に上陸した後、瀬戸内海を抜け兵庫県に再上陸して、スピードを上げて日本海に抜ける見込みのようです。ここでも風が結構吹いています。

 1日に高校の同窓会の総会があり、茨城新聞社代表取締役小田部卓さんに、講演して頂きました。地方新聞の役割について主に話されましたが、3.11のときに全電源喪失の中、発刊し続け、また配達し続けた大変な経験について話してくださいました。お話を伺いながら、あのときの記憶が蘇ってきました。

 私たち日本における日常生活は、大きな災害などがない限り、電気や水、ガソリンに不足するということはありません。公共交通機関を使った移動もスムーズです。便利で快適な生活は、たとえば24時間営業のコンビニエンスストアなどに象徴されます。しかし、一旦そのシステムが動かなくなったとき、私たちの現代の生活のひ弱さが露呈します。

 井戸があった時代だったら、水道が止まっても困りませんでした。薪でお風呂を沸かしていた時代(私の子どもの頃、母の実家ではそうでした)なら、ガスや電気が止まってもお風呂に入れました。汲み取り式のトイレの時代、水がなくてもトイレは使えました。今更後戻りはできませんが、生活の原点に気づかされる経験でした。

 茨城新聞社も全電源消失の中、発行し続け、配達し続けることで地方新聞の原点を体験したそうです。茨城新聞は、1891年に「いはらき」という題号で創刊され、今年で127年を迎えます。1942年に県内の地方紙を経営統合して「茨城新聞」と題号を変更し、1947年に「いはらき」に戻しています。そして1991年に「いはらき」から再び「茨城新聞」に変更されました。

 1923年(大正12)の関東大震災でも、1945年(昭和20)の水戸の大空襲でも新聞発行を続けてきた歴史を持ち、3.11のときも「紙齢を絶やすな」を合言葉に社員一同不眠不休で頑張ったそうです。それまでも頑張ってきたが、活を入れられた経験だったとも、小田部社長は語られていました。ともかく生活情報のみの掲載の一週間だったそうですが、新聞入手の要望が殺到し、情報の伝え方についても学んだ経験だったと言います。

 地方新聞は地方の情報の宝庫であり、まずはその基本情報を発信することと、地元への愛着を生みだせるような「木鐸たり得るか」どうかが、問われている気がします。  

 

寂しさと孤独

 今日は夕方、雷雨になりました。雨が小降りになっても、稲妻が空を走って、何度も垂直に落ちていました。凄い光景でした。車を走らせながら、映像を見ているようでした。8月が終わると、やはり涼しくなるようです。9月はまだまだ日中は暑いでしょうが、あの身の置き所の無い暑さとは違ってくることを期待しています。

 さて、年を取るということは寂しさを抱きしめているような、そういう感覚に気持ちが負けていくことなのかもしれません。人間は、みんな寂しいものだと言います。年を取っていくと孤独になっていくので、寂しいのでしょうか。孤独は他の人との接触や関係性がない状態を一般的には言います。

 三木清は『人生論ノート』の中で、群衆の中の孤独を言っています。

 「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである」

 しかし、孤独は味わいを持っているとも言われます。一人になりたいので街を歩く、ということもあると思います。周りに人がいても、そこに関係性がなければ、孤独です。また、自然の中での孤独は、しみじみと心が癒されることもあります。

 寂しさという感情は、単に孤独だからというのではない気がします。一人暮らしの利用者さんが、「一人がいいの」と言います。この方はマイペースで、自分のやりたいことだけをやります。寂しさを感じることもあると思うのですが、そういう感情を気にしていない。

 別の利用者さんは家族と暮らしながら、寂しいようです。むしろ年と共に、家族の中で孤独になっていくのかもしれません。他者の気持ちが自分に向いて欲しいと思うようですが、そのやり方が分からなくなっています。その結果、自分中心の表現になってしまって、周りが引いてしまう。そこでさらに強烈に自己表現して、注意を喚起しようとする。負のスパイラルに陥ってしまいます。

 私たちは寂しいので人とつながろうとするわけですが、このコミュニケーションの難しさはみんな感じています。仏教の教えに「少欲知足」があります。欲張らずに、現実を受け入れることですが、これが難しい。むしろ現代は、そういう姿勢を<消極的>と捉えて、もっと高みを目指せと叱咤激励します。欲張らないというのは、欲がないことではありません。アリストテレスの中庸の徳の節制を意味します。欲を感じない(不感症)ことも欲がありすぎる(多情)ことも、生き方としては望ましくないのです。

 寂しさに負けないというのは、寂しさを知らないことでもなければ、寂しさに溺れてしまうことでもないのでしょう。寂しさを知らないと、他人とコミュニケーションを取ろうと思わないでしょう。寂しさに溺れるとやみくもに他人の気を引こうとしてしまいます。

 寂しさも孤独もそれなりの味わいを持つ。そう思えるのは、心が健康であるということなのでしょう。そういう状態を保ちたいと思います。そのためには、自分に囚われすぎないこと、つまり、集中できる何かを持ち続けることが有効なのかもしれません。 

感情的問題への対処法

 朝晩は涼しくなりましたが、日中はまだ暑いです。岐阜市の病院で、エアコンが故障して、80代の入院患者が5人(だったと思います)亡くなったというニュースが、昨日は盛んに取り上げられていました。医療の現場で、考えられないような事態です。

 夏にクーラーは熱中症対策に欠かせないものになりましたが、高齢者にとっての適切な室温調節には難しいものがあります。高齢者に限らず、クーラーの適温は人によって分かれます。体調や感覚の差が影響しますが、デイの利用者さんも、クーラーが寒いという人と丁度いいという人に分かれます。風が直接噴き出さないような工夫はしているのですが、それでも感覚や体調に違いがあります。

 上に羽織るものを持ってくる方がほとんどですが、一人暮らしの場合、配慮してくれる家族がいないと「上に羽織るものをお持ちくださいね」と伝え、手帳に書いても、「忘れた」ということになります。席を変えたりしても、やはり寒いということになって、クーラーの温度調節をしますが、全員に快適な温度に保つのは難しいです。

 ところで、人が集まって過ごしていると、当然ながら、いろいろな問題が出てきます。自分のペースを変えられない人や自分のやりたいことは他の人に譲らない人など、だんだん周りが苛立ってきます。スタッフが間に入りながら、調整していきますが、苛立っている人の表現がきつくなっていくのが分かります。感情的な部分は最後まで残ると言われますが、その感情をコントロールする理性的部分は弱くなっていきます。

 好き・嫌いは人間関係において自然に発生します。ただ関係性を保つためには、その感情をわきに置いて、相手をありのままに理解する努力が必要、ということはよく言われますし、その通りだと思います。相手をありのままに理解する、これは難しいです。ある種の訓練が必要ですし、その人の性格によっても容易度が異なってきます。衝動性や情動性が強いと、好き・嫌いの判断のフィルターが明確でかつ強く、自分の先入見(吟味されていない判断)から距離をとるのが難しい。

 この距離をとる能力をメルロ=ポンティは自由の能力と言っていましたが、批判的能力のことでもあります。批判というと他人の意見や行動に向けられるものという印象が強いようですが、私はまずは自分の先入見を吟味することと捉えています。先入見から自分を自由にするのが批判能力だと思います。

 なぜこの人は、こういうことを言ったりしたりするのか、自分の心を逆なでする他者の言動に振り回されないためには、他者を理解する必要があり、そのためにはまずは判断停止して観察することが必要です。なかなか難しいのですが、でもそれを続けていると、何かの瞬間に、「あ、そういうことか」という理解が生じます。他者理解であると同時に自己理解の瞬間です。もちろん、また次の問題が生じてきますが、結局そういうことの繰り返しでしか、感情的問題への対処はできないのでしょう。

 では、認知症状を呈している人たちが、同じように認知症状を呈している人との関係の中で感情的問題を抱えているとき、援助者側はどう対処していったらいいのでしょうか。「あなたの気持ちはわかりますよ。許してあげてくださいね」というような意味合いのことを言って「そうね、分かりました」と言ってくれても、すぐ忘れます。また、問題的に振る舞ってしまう人にも、その都度、「ほかの人にも譲ってあげて下さいね」とか声掛けしますが、こちらも「わかったよ」と言ってくれてもすぐ忘れます。「そんなことないよ、ちゃんとやっているよ」という人もいます。

 「そんなことないよ」と抵抗する人も、「わかったよ」と言ってすぐ忘れる人も、ともに理性的ではありませんが、その違いはもともとの性格の違いなのでしょうか。とりあえず、援助者側が、繰り返し、それぞれの理性の部分を肩代わりする対応をしていくしかないのでしょう。

「いること」と「すること」と

 22日はまた、猛烈に暑かったです。一日中、洗濯していた気がします。23日も暑かったのですが、夕方から大分涼しくなりました。24日は朝方までは、風が涼しかったのですが、午後から蒸し暑さを感じました。25日、やたら暑かったです。この暑さいつまで続くのでしょうか。

 さて、私たちは生まれ出てきた時は、自分で何かを「する」ことはできずに全部周りの人たちにしてもらいます。人間は動物なので動きますが、この動きをコントロールできないと、自分の身の回りのこともできないし、社会を作れません。日常生活も何事かを「する」ことで成り立っています。何を「する」か、「何」をすることが望ましいかは、時代や文化、年齢、性別、階級などによって分かれます。しかしいずれもやはり「する」つまり「活動」に焦点が当たっています。

 存在すること、いること(being)だけで「いい」というのは考えてみると、通常、生まれて来て何か月かの間と、本当に死にゆくときだけです。認知症状を発症している人たちの問題の一つもここにあるなあと思います。彼らはただ「いる」だけでなく、やはり何かをしているのであり、その「していること」が問題を起こしてしまうわけです。人間として生きている間は、やはり何かをしているわけで、そのしていることをどうコントロールするかが問題になってきます。自分でコントロールできないときは、周りの援助が必要になります。

 周りの人間が「いる」ことを第一の価値として受け止めて、その「する」ことに寛容になれるかどうか。そういう価値転換ができるかどうか。

 通常ケアは、ケアする側からの発信はあっても、ケアされる側からの発信はあまりありません。ケアされる側が何を感じ、考えているのか、今一つ分かりません。その意味では、クリスティーン・ブライデンさんの講演会や著作は大きな役割を果たしました。

 クリスティーンさんは1995年、46歳で、アルツハイマー症と診断されました。夫との離婚が成立して、やっと生活が落ち着きを取り戻しつつあったときに、この診断に彼女は苦悩しながら向き合っていきます。1997年に一冊目の本『私は誰になってゆくの?』を出版します。そして1999年に、ポール・ブライデンさんと再婚して、2004年に2冊目の本『私は私になってゆく――痴呆とダンスを』を出版します。どちらの本も、本当にアルツハイマー症の人が書いたのか、と疑問を呈されるような出来栄えなのです。この一事からも、アルツハイマー病というのが、一気に何も分からなくなるものではないことが分かります。

 後期認知症のイメージ(誰も分らなくなり、話せなくなった状態)がスティグマ(烙印)を作り出し、認知症と診断された人を孤立させます。しかし認知症は診断から後期認知症に到る旅なのです。その途中には多くの段階があります。クリスティーンさんはこのことを知ってもらうための孤独な戦いを始めました。

 パーソン・センタード・ケアを提唱するトム・キットウッド(1937-1998)は、認知症にとらわれずにその人を理解することから始めよう、と言います。そして、活動的であることは人間を人たらしめるのに大きな役割を担う、最高のケアは常に一種の協力、とも。

 私たちは、活動というとき、目的を重視します。事柄自体、目的達成という立場が「大人」の世界では重要です。しかし、認知症に向き合うとき、人間を人間たらしめるためにこそ活動が意味を持ちます。その人のための活動なのです。「いる」ことこそが本位であって、「する」ことは「いる」ことを補足するツールというように、構え方を変えられるかどうか。

 私たちの生活が、あまりに「する」ことに軸足を置きすぎている、それを得心していけるかどうか。まだまだ、考え、感じなければならないことが沢山あります。

「まさにそのこと」と言語

 今年の夏は、やたら次々と台風がやってきます。台風の影響で昨日まで涼しかったのですが、今日はまた一転して暑かったです。台風19号、20号は発生していて、週末はまた、雨模様のようですが。義理の伯母が7月末に亡くなったのを皮切りに、従弟と従兄が最近立て続けに亡くなりました。彼らの身体は朽ちて、でも彼らの想いはどこに行くのだろう、などふっと考えてしまいます。 

 精神を物質現象に還元することと、精神が物質であるということは別のことだと、前に(「人間は機械として語れるか」で)書きました。ある何かとそれを別のものに還元するというのは、分析と総合のような関係におけるずれとも言えると思います。あるものを分析し、それを元に戻すことで全体像がより明確になるという考え方は、全体は部分の総合ではない、というゲシュタルト心理学の成果によって切り崩されました。

 ゲシュタルト心理学は要素心理学に対する批判から始まりました。要素主義心理学の恒常仮説とは、一定の局所的刺戟に対して常に一定の感覚が対応するというものですが、この恒常仮説への批判は、ヴェルトハイマーの「運動視に関する実験的研究」(1912年)によって始まったとされます。これは、光の刺激が連続的に与えられると、設定の仕方によって、点滅運動が一つのまとまった運動として知覚されるというものです。もし要素主義心理学の考え方が正しければ、点滅する光は点滅するものとして知覚されなければならないはずです。

 ゲシュタルトとは、緊密に結びついたまとまりと相互関連性を帯びた全体としての構造を意味します。要素を分離するとこの構造は失われてしまい、要素も要素としての意味を持たなくなります。部分を集めると全体になるのでなく、全体としての構造の中にこそ部分が存在します。両者を切り離すことはできません。

 ゲシュタルト心理学における知覚の考え方は、その結果、「意識作用―意識内容―客体自体」という「三項図式」で捉えられるような意味での認識論的有効性を脅かすことになりました。認識論は一般に、要素的意識内容(ばらばらの意識内容)が主観の働きによって統覚され(まとめられ)、意識与件(データ)を形成するという統覚心理学的な発想に立脚してきました。すなわち、ゲシュタルト心理学によってこの3項図式が成立しなくなり、認識論の土台が切り崩されたことを意味します。

 さて、ニーチェは生成が現実であり、言語はそれゆえ現実を語れないと言いました。言語は独自の記号の世界なのです。ヴィトゲンシュタイン言語ゲームという視点もよく分かります。そして、古東哲明さんが「イデア」を「出来事の現場でぼくたちが直撃され(たましいで)よく知っている<当のこと>」(『現代思想としてのギリシア哲学』321頁)と言いますが、まさに言語や表象ではない「そのもの」のことです。

 私たちは、何かを理解するとか知るということを、隅から隅まで言語化可能とどこかで考えているのかもしれません。でも、言葉の持つ限界、特に論理的言葉の限界ということを、かつての日本の文化はよく知っていたのかもしれません。それが和歌や俳句という言語文化を生んだ。「行間を読む」という言葉がありますが、読んだものを言語化しようとすると、指の間からさらさらと砂がこぼれるようにこぼれていく、そんな感じがします。それでも、私たちは言葉にしようとします。なぜなのでしょう。言語は記号であり、「想い」より確かなものだからでしょうか。

h-miya@concerto.plala.or.jp