宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

7月も終わりです

 7月が終わろうとしています。7月は好きな月です。講義は6月が一番苦しかったですが、これは他の先生方もよくおっしゃってました。7月になると夏休みに向けて登頂のカウントダウンが始まります。夏の緑も青さと勢いがあり、夏本番直前のワクワク感もあります。8月は夏の疲れも出て来て、そして秋の気配も感じるようになり、今度は祭りの終焉に向かってカウントダウンしていくような感じがあります。

 7月は英語でJulyですが、これはユリウス暦を採用したユリウス・カエサル(B.C.100-44頃)に因むと言われています。それまで1年は3月から始まりましたから、7月は5番目の月を意味する言葉“Quintilis”を使っていましたが、それを自分の家門名に変更した訳です。8月の英語Augustは、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(B.C.63-A.D.14)が、ユリウス暦のうるう年を修正したときに、6番目の月を意味する“Sextilis”から、自分の名前に変えたと言われます。

 その後も皇帝が変わると、月の名に自分の名前や妻の名前を付けた人が多かったようですが、皇帝の死とともに廃れ、元の月名に戻り、人名で残ったのは7月のJuliusと8月のAugustusだけだったそうです。権力を握ると、その徴を残したいと思うのでしょうか。ただし、この二つも本当に人名由来かどうかは異論があります。8月までの名前に由来する月名のうち、残り6つは神様の名前から来ていますし、後の4つは数詞から来ています。ということで、この二つも神様の名前から来ていると考えるほうが自然という意見もあります。

 30日夕方から31日お昼まで「千葉・茨城教授学研究の会」の合宿に参加させてもらいました。いつも部分参加なのですが、4回目になります。九十九里での合宿参加はエイヤ~という部分がありますが、今回は、作業療法士さんの活動を紹介してくれる発表があったので、是非聴きたいと思って参加しました。夏合宿は2泊3日で、全日参加者は大人13人、子どもが7人いました。子どもたちが、2日目午後の表現練習やマット運動で大活躍だったそうです。子ども同士の交流も活発でした。いつもながら、休憩なしのマラソン発表会に参加し続ける先生たちの体力・気力に、圧倒されました。

 作業療法の世界は、まだまだ言葉にされていない部分が多いのかなと思いますが、コミュニケーション・ワークショップというやり方に自分の職場での経験を重ね合わせて、再確認することも多かったです。応答までの時間的ラグや即答されなくても受け止められていることなど、そしてそれが笑顔に結びついてゆくことなど、2008年にNHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 介護はファンタジー』も思い出しました。番組の中で、大谷るみ子さんが、「こころは生きている」「介護はファンタジー」と言っていましたが、それをどう言語化していったらいいのか。それは作業療法の方法論の問題とも関わっています。

 いつも合宿では合唱練習があって、声の出し方や表現の仕方を指導してもらえます。そうやって何人かで声を合わせて歌う楽しさがあります。声に出して表現することは、黙読や書いたりすることとは異なった理解につながる感じがします。身体をくぐる理解と言ったらいいでしょうか。

 小学1年生が5月に描いたくじらぐもの作品を見せてもらいましたが、どれも楽しく素敵な絵になっていました。これは中川李枝子作『くじらぐも』を読んで、雲を見て、お話を作ったり身体を動かしたりしてから、作品にしていったそうです。一枚一枚物語があって、見惚れてしまいました。

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小学校1年生が5月に作った作品。画面いっぱいに「くじらぐも」がたんぽ(綿を入れて布でくるんだもの)に絵の具を染み込ませてタップされ、クレヨンで人が描かれています。どの作品もしっかり描き込まれていました。  

身体と「私」の構成

 稲田朋美防衛相が引責辞任し、民進党蓮舫代表も辞意を表明。政治の場面がバタバタ動いています。8月27日には茨城県知事選もあります。政治がらみの人間の動きは関心を引くようです。政策そのものの議論より、そこに絡む人間の問題の方が、とっつきやすいのか、関心を引くのか。まあ、それはそれとして、「私」と場所性の問題について考え始めました。「私」が「私である」ことは、普通は自分にとって明確ですが、これはどういうことか。

 デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉がありますが、これは「思う私」の「ここ」と「今」における実在を直観する直接性を言っています。でも本当に思考する主体としての「私」の存在は自明なのでしょうか。これは繰り返し問われてきました。「私」が「ここ」だけでなく、「あそこ」でも考える主体になってしまう分身体験に悩む人がいます。自己像幻視とかドッペルゲンガーと言われますが、普通の人でも見ることがあると言います。リンカーンエリザベス1世芥川龍之介などが自分のドッペルゲンガーを見たという記録も残っています。また、19世紀のフランス人エミリー・サジェは、同時に40人以上の人々によってドッペルゲンガーが目撃されたと言われています。

 通常の自己像幻視は視覚にのみ現われ、短時間で消えて、独自のアイデンティティを持たないようですが、まれな例としてホートスコピーと呼ばれる「私自身」をまねない自己像が見えたり、「私自身」と交流する症例も報告されているそうです。脳の側頭頭頂接合部に脳腫瘍ができた患者が自己像幻視を見るケースが多いと言われます。ここはボディーイメージを司る部分で、機能障害によって自分の肉体を認識する感覚を失い、肉体とは別のもう一人の自分がいるような錯覚をすることがあると言います。また自己像幻視の症例のかなりの数が、統合失調症と関係している可能性が言われています。ただし、第3者によって、それも複数人に目撃されるドッペルゲンガーの例は、脳の機能障害では説明がつきません。共同幻視? 

 デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」は、世界の中心に一人で光を放つ中心点を確保すること、明晰な視点を世界の中心に一つ確保することとも解釈できると言われます。その中心点の光が神や天使でなく、考える人間のもので、世界を光のまなざしの中で再構築すると言うことです。しかし、ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で「思考し表象する主体は存在しない」(5・631)と書いています。「主体は世界には属さない。それは世界の限界である」(5・632)、「世界の中のどこに形而上学的な主体が認められうるのか」(5・633)と問いかけ、よく知られている眼と視野の図を書いて見せます。世界を対象化する特権的眼差しのイメージを、ヴィトゲンシュタインは拒否します。

 フッサールも、見ているものは触りうるもので、それは身体との直接的関わりを示している。見ていることからだけ自分の身体を現れ出させることはできないだろう、単に見るだけの人が自分の身体を見るとは言わないだろう、と『イデーン』の中で書いています。私たちは見るだけの行為から、それが「自分が」見ているという結びつけ方はできない、自分の身体という捉え方は見る行為でなく、触覚から生じるということだと言っています。

 ヴィトゲンシュタインフッサールも、「思う」ことの存在からは「自我」の存在を導き出せないと結論しました。ヴィトゲンシュタインは、その結果として、「自我」は存在しないと主張し、フッサールはどうやって「自我」の存在を根拠づけるかを考えました。そこでやったことが、徹底的に「意識」を解明する作業でした。そしてそこから触覚的身体を介して、主観が現実の「私」「自我」になる構造を取りだしました。この作業については、次回、もう少し詳しく考えておきたいと思います。

『北のカナリアたち』:教師と教え子

 吉永小百合の北の三部作の2番目にあたる『北のカナリアたち』(2012年)を、DVDで観ました。原案は湊かなえ『往復書簡』の中の1作「二十年後の宿題」です。吉永小百合仲村トオルの年齢差を指摘して、吉永小百合の役柄じゃないという書き込みなどもありましたが、オペラや舞台劇考えたら、私にはそれほど違和感はありませんでした。

 話の舞台は、北海道最北端の離島の分校。6人の子どもたちと先生の話です。彼女は『二十四の瞳』のリメークをいろいろな形で提示されながら、高峰秀子の演じた大石先生は自分にはとてもできないという思いで断ってきたとか。この『北のカナリアたち』は、教師の教え子に対する思いという精神は同じだと思うと、書かれていました。

 20年前、離島の分校で子どもたちに歌うことを教えた川島はる先生が、子どもたちと合唱しながら夏の北海道の草原の中を歩く場面は、『サウンド・オブ・ミュージック』を思わせます。そして彼女の教え子を救って、潮にのまれて亡くなった夫の事故をきっかけに、はる先生はそのとき他の男と会っていたという噂が広がり、分校を去ります。20年後、その時の教え子の一人が殺人事件を起こしたと、東京に住む彼女のもとを刑事が訪ねてきます。はる先生は、真相を確かめるため、かつての教え子たちを訪ねて、北海道を歩きます。最後に、はる先生の父親の住む離島に戻り、かつての分校で6人が揃ってはる先生の「授業」を受ける大団円。最後は涙なしには見られませんでした。

 教師と教え子という関係は不思議だなと思います。私にも恩師と呼ぶ方たちが何人かいます。学校以外で「恩師」と呼ぶ存在に会う人もたくさんいると思います。人生の先輩というのとも少し違って、ただ教えを受けた先生というのとも違って、言葉そのままに「恩を受けた師」なのだと思います。恩を受けていることは、もしかしたらその時には分からないまま過ぎてしまうのかもしれません。気づかないまま終わってしまうのかもしれません。それでも、何年も過ぎて分かることもあり、そういうことは他にもあるんだろうなあ、今も気づかないまま、と思います。だからこそ、受けた恩のペイフォワード(先送り)なのでしょうね。私は教師としてそういう存在でありえたのか。 

どう生きるか

 昨日、高校卒業後45周年の同窓会がありました。みんな歳を重ね、一瞬思い出せない人もいましたが、不思議なもので話しているうちに、なんとなく面影がよみがえってきます。次は50周年で、元気に会いましょう、ということでお開きになりました。その後、クラスごとに2次会に分かれ、すでに鬼籍に入った友人の話になりました。「彼は優しくていい男だった」と口々に言っていました。私はあまり話したことがなかったので、そうだったんだあ、という感じでした。一見こわもての感じだったなあ、と思いながら。ほぼ半世紀という時間の長さを、ふと感じました。

 時間ということでは、今日、NHKで、18日に105歳で亡くなった日野原重明さんの追悼番組をやっていました。100歳の時のドキュメンタリー番組の再放送を軸にしていましたが、私もこの番組は一度見ています。覚えている部分もありましたが、小学生に語っている命とは何かの講演会の部分は、見落としていました。時間から生きることを語っていて、過去の時間も未来の時間も私たちは生きていない。ただ今という時間は生きていて、それを自分のためだけでなく人のためにも使って欲しい、と語っていました。うーん、深いなあ、と思いながら見ました。日野原さんは明治45年の生まれです。

 優しさということでは、レイモンド・チャンドラーの作り出した私立探偵、フィリップ・マーロウの言葉を思い出します。「男はタフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない」という、角川映画『野生の証明』(1978年)のキャッチコピーとして使われて有名になった言葉です。これは生島治郎さんがハードボイルドとは何かを語るときに使った訳を元にしたそうですが、この言葉自体は日本以外ではあまり知られていないそうです。日本でこの言葉を最初に取り上げたのは、丸谷才一さんで、1962年です。この言葉は、チャンドラーの最後の作品『プレイバック』に出てきますが、この作品はフィリップ・マーロウものとしては、唯一映画化されていない(2014年現在)とか。マーロウというとハンフリー・ボガードをイメージします。ボガードが口にしたら、格好いいだろうなあなんて思いながら、この言葉を思い出しました。

 原語にそって訳すと、「ハードでなければ生きていられない。ジェントルでなければ、生きているに値しない(I wouldn't deserve to be alive)」ということでしょうか。生きていく資格がないというより、それじゃあ生きているとは言えないんじゃない、という感じかなと思います。矢作俊彦さんが「ジェントルでなければ生きていく気にもなれない」という意味だと指摘しているようです。私も最初は、(他律的な)やさしくなければいけない、という意味でとらえていましたが、そうでなくて優しくあることは自分にとって人生を生きがいあるものにする条件なのだと捉えると、とても素敵な言葉だなあと思います。

 女性に優しさ、素直さを求める慣習的なものに、どこかで圧迫感を感じたりすることもあり、「優しくあれ」はあまり好きではありませんでした。「優しくあれ」を男性が自分自身に言うと違いますが。でも、優しさが人生を豊かにするものとして提示されるとき、スーと入ってくる言葉だと感じます。

 日野原さんが、よど号ハイジャック事件から解放された58歳のとき、残り人生を人のために生きることをミッションとしたと言われてました。ほぼ半世紀に亘って、ペイフォワードの生き方を実践された訳ですが、これもすごいなあと思います。自己犠牲のバーンナウトは問題だと思いますが、これからの残り人生、本当にどう生きるか。

ひたちなか市民大学2回目:電子メールの安全性

 今日は、メールの仕組み(2)で「差出人と宛先」「フィルタリング」「安全なメールの送受信」についての話でした。特に面白かったのは、「安全なメールの送受信」の話でした。メールは第3者も見ることができます。「共謀罪」の趣旨を含む組織犯罪処罰法が11日に施行されましたが、アメリカから提供された可能性のあるエクスキースコアの話を思い出しました。これは電子メールの暗号化は、ちゃんと考えておかなければならない話だな、と改めて思いました。

 暗号化には共通鍵暗号方式と公開鍵暗号方式があります。送信者が平文を送るとき、鍵を使って暗号化して暗号文にします。それをまた鍵を使って復号(符号化された情報を原情報に戻すこと)して平文に戻します。共通鍵方式は暗号化・復号ともに同じ鍵を使います。このやり方は処理が高速ですが、共通鍵を他人に知られないように送るのが困難です。公開鍵暗号方式では、公開鍵と秘密鍵をセットで使います。受信者の公開鍵を送信者がダウンロードして、その鍵で送る文章を暗号化して送信します。その暗号文を受信者が受信者の秘密鍵で複合するのです。この公開鍵暗号方式をRSAと呼びます。

 RSA暗号は、素数を使いますが、二つの素数を選びその素数の積を鍵として使います。これは素数の持つ特性に注目したやり方です。素数の桁が小さいとすぐ見破られますが、桁を1000桁にすれば、おそらくその解読に数百年かかると言われます。これは素数が無限であることと、素数の現れ方に規則性が見つかっていないからです。コンピュータは組み合わせ処理(しらみつぶしに調べる処理)が苦手です。素数に規則性はあるのか? これは数学者たちが取り組んできた問題ですが、いまだに解明されていません。こういう話、私は大好きです。

 もし素数に規則性があることが見つけ出されたら、インターネットで現在使われている暗号化方式が通用しなくなり、銀行のATM、クレジットカード決済、電子マネー決済などが使えなくなります。RSA暗号の数学的原理はもう少し複雑です。

 ともあれ、インターネットでは2つの暗号化方式が使われています。共通鍵を公開鍵暗号方式で送って、それ以降平文を共通鍵で暗号化し、受信者もその共通鍵で復号するというやり方です。これがプロトコルSSL(Secure Sockets Layer)です。そして電子メールの暗号にもSSLが利用されています。

 うーん、でもまだ消化不良です。メールの設定画面が表示できないし、SSLがオンになってるかどうかも分かりません。もしオンにした場合、対応していないアプリを使っているあるいは相手方がオンにしていない場合、メールのやり取りができなくなる? 質問したかったのですが、講座がぎりぎり時間で終了し、個人的な質問者がかなり並んでいて、明日のことも考え、並ぶことをあきらめて帰ってきました。

観ること:知覚の客観性2)

 「客観性」という言葉に終始批判的だったメルロ=ポンティは、それが自然科学における固定的なものの見方をあらわす言葉としての使用に反対していました。しかし『知覚の現象学』の中で、知覚の客観性という点について、「最適性」と「特権性」を語ります。私たちが何かを見るとき、一番対象を捉えるのに適したところから見る。それが最適性であり、そのとき実現されているのが特権的知覚です。その定点が「成熟点」と言われます。このような瞬間を、メルロ=ポンティは「規範の誕生」と呼びました。これは知覚主体との緊張関係の中に実現されていますが、私たちが絵を観るときの状態を思い出すと、分かり易いのではないでしょうか。

 ゲシュタルトとは、私たちの脳内にあるのでもなければ、要素的刺戟から構成するものでもありません。メルロ=ポンティは「形態とは世界の出現そのもののことであって‥‥‥それは一つの規範の誕生そのものであって、〔あらかじめある〕一つの規範に従って実現されてゆくというものではない」(『知覚の現象学 1』116頁)と言います。ゲシュタルトとは、それ以上遡れない根源的形式のことであって、内面的なものを外へと投影することではありません。内面的なものと外面的なものの同一性だと言われます。科学の出発点になる客観的知覚は、このような特権的知覚と言われるものです。

 また私たちが遠近法を持って生きているにしろ、その遠近法は全く恣意的なものではなく、それは「そのようにしか見えない」知覚の構造の中にあります。遠近法的変形を私たちが理解するのは、「私が身体をもち、そしてこの身体によって私が世界に対する手がかりをもっている」(『知覚の現象学 2』147頁)からです。そうでなければ例えば1メートル先のあるものと、100メートル先の同じものをどうやって同じと見分けることができるか、理解できなくなってしまいます。この身体を軸に位置、距離、現われを同定する特権的知覚。これは「三つの規範を同時に満足させる成熟点」(同上書、146頁)に収斂し、この特権的知覚によって私の知覚過程は統一性を保証されて(安定して)います。そして知覚の基準点のために私の身体が世界に対しての手がかりになるのです。

 ジェームズ・J・ギブソンは認知における対象の不変項という概念を提示しました。メルロ=ポンティは知覚から出発し、知覚の創造的側面にさらに歩みを進めました。すなわち、解釈が重要性を持つ世界と知覚の関わりを描き出したわけです。

 メルロ=ポンティギブソンも知覚現象に対する物理的実在の優位性や先行性に否定的でした。そして二人とも物理的世界にたいして、知覚世界の直接性、先行性を主張しました。ケアを通して見えてくるものは、やはり知覚世界の直接性であり、先行性だと思います。それと同時に、ケア関係の中にある創造性は、単に知覚を生態学的世界の不変項を把握する、と考えると行き詰まります。各自の、それぞれの身体性を含めた規範の誕生としての特権的知覚、それによって出現した世界との関わりが重要であり、その世界は知覚する主体との緊張関係の中に保たれています。

オペラ歌手の小演奏会の夕べ

 昨晩、急に個人宅のホールでの、オペラ歌手ご夫妻(ウィーンのテノール歌手と日本人で奥様のソプラノ歌手)の演奏会を聴くことができました。あまりオペラは聴かないのですが、プロの方の磨き抜かれた「声」に圧倒されました。

 幼稚園でのオペレッタの実演の映像を観て感激したことがありますが、オペラとオペレッタの違いは、まだ感覚的に良く分かりません。私は、オペラよりも軽めの音楽ドラマという感じで捉えています。よくオペレッタは、軽喜劇と訳されたりするようですが、必ずしも喜劇である必要はないようです。

 昨晩の小演奏会では、お二人がそれぞれ数曲、デュエットで3曲(だったと思います)歌い、軽妙な解説をつけながら司会してくださった現役テノール歌手の方が2曲(?)歌いました。中盤でグノーの『ロミオとジュリエット』(シェークスピア作)の中から、第2幕の「私は自由に生きたい」とロミオとジュリエットの愛の2重奏が披露されました。声によって感情を表現するところにオペラの特性があるのかな、と思いながら聴きました。これがアリアと言われる部分です。

 司会の方が、ソプラノはお姫様や若い娘を、アルトは年をとった女性や魔女や意地悪な女性を歌うと言われてました。バスは父親や王様、魔法使い、テノールはイケメンの男性役に充てられるとも。声楽家の声域と演じる役柄がパラレルになっているようです。まあ、言われてみればなるほどです。昔は照明が暗かったので、声で演じ分けられたようです。ラジオ劇を思い出してください、と言われました。なるほどです。でも、扮装して台詞も動きもあるわけで、視覚型人間としては、今ひとつ納得がいきません。歌唱力を楽しむということなのでしょう。

 「ロミオとジュリエット」に戻りますが、あの物語の切なさは、オリビア・ハッセ―が演じることでツーンと感じた気がします。演劇というのは、そういうものじゃないよと言われそうですが。演劇やオペラは、観客側も楽しむまでには訓練が要求されると思います。そして「声」の問題にも、改めて注意を引かれました。

h-miya@concerto.plala.or.jp