宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

ちぎられた縄

 昨日(4日)、常陸太田市の劇工房橋の会第20回公演『ちぎられた縄』を観てきました。1956年に文化座が公演して、千秋楽には観客があふれ、一ツ橋講堂の扉を開けての上演だった作品です。原作は福岡県生まれの戦争文学の代表作家、火野葦平です。火野は1960年に、53歳で睡眠薬自殺をしています。

 戦後沖縄が本土からちぎられ、アメリカは沖縄の土地を強制収奪して、基地を建設していきました。沖縄県での米軍属による女性暴行・殺害などの数々の事件では、日米地位協定によって、今なお日本側に容疑者が引き渡されるのが難しい状況です。米軍属は保護され続けています。お芝居の中でも、夫と子どもを喪ったツルさんが、人生を夫の弟とやり直そうとしていた矢先、米兵から暴行され、妊娠してしまったことから自殺して終わりました。とても重いテーマです。そしてどこに救いがあるのか、見えない。三人で観に行ったので、いろいろしゃべれて、良かったです。これを一人で観たら、うーん、考え込んでしまって、帰りが辛かった気がします。演じきった役者さんたちに拍手です。

 帰りに、鯨ヶ丘商店街を散策。鯨ヶ丘の名前の由来は、景行天皇記紀伝承上の天皇)の時代に遡るようです。日本武尊が東夷征伐時にこの土地を訪れ、丘陵の起伏が鯨が海上に浮遊している姿に似ていたことから名付けられたとか。その後、鯨ヶ丘には、平安時代からこの地を治めていた佐竹氏の城(舞鶴城あるいは太田城とも)が築かれていました。江戸時代には物産の集散地として、明治時代には葉煙草を取引する問屋街としてにぎわったそうです。今も古い建物がの残された商店街の街並みが、プチ旅行気分にさせてくれました。そして、最後に新しい常陸太田の道の駅にも寄ってきました。

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『不思議なクニの憲法』2回目視聴

 今日、『不思議なクニの憲法』の2回目の視聴をしました。1回目とは違った部分に関心が行きました。そして、以前から憲法改正のための自民党草案の訳の分からなさが、のどにつっかえた骨のようになっていましたが、少しその基本精神が理解できたような気がしました。

 まず、弁護士の太田啓子さんが、「憲法改正に賛成か反対か」という問いは意味がないと言っている部分に注目しました。太田さんは「憲法カフェ」や「怒れる女子会」の発案者です。彼女にとっては、憲法は「いかに人間が幸せに生きるか、というのを真剣に考えてある希望の書」だそうです。その希望を繋ぐ活動だから楽しくやりたい、と言っていました。そして、どの条文を、どう変えることに賛成か反対かという具体的議論が必要であること。希望しないような改正も起こるかもしれないが、そうしたら、望むような政権を作って、新しい条文の憲法改正もできる。自分たちが主権者なのだからというように常に希望をもって、あきらめないと言っていました。憲法を改正したい人たちがあきらめない以上に、自分もあきらめないと。

 弁護士の伊藤真さんは、「一人ひとりが、人間として、個人として尊重される社会を理想として」努力していくべきだし、努力しているのだと思うと語っていました。日本における憲法教育は、ほとんどなされていないと言っていいと思います。現憲法の基本理念は、どうも日本人の常識になっているとは言い難い状況です。その証拠に、自民党草案や日本会議の動向にも、世論がそれほど拒否反応を示しているとは思えません。彼らの方向性とは「一人ひとりが、人間として、個人として尊重される社会」を理想にしていないのですが、世論はそれにある種鈍感だし、逆に賛成を表明する人たちもいます。女性たちの中にも。

 単に9条改正が目的なのではなく、現憲法の掲げる基本的人権に違和感がある人たちが書いたのが自民党草案なのだと考えると、よく分かります。「公共の福祉」が、「公益及び公けの秩序」に書き換えられているのも納得します。「公共の福祉」が何なのかは市民社会のコンセンサス形成と関わりますが、「公益及び公けの秩序」は上から目線です。それらは与えられるものになっています。「一人ひとりが、個人として尊重される社会」が嫌な人たちがいて、そういう社会は不安定な不安な社会だよというプロパガンダに共感してしまう人たちが結構いる。

 改正のための自民党草案の方向性とは、歴史を逆戻りさせたいのでしょう。天皇を頂点とする共同体主義を理想として。この共同体は、自生的な共同体ではなく、明治期に作り出された天皇制家族国家観を理想とするものでしょう。これはそれぞれの家が家父長制によって一元管理され、さらに天皇日本民族の家長の地位に立つという家族国家観です。当然、天皇は男性でなければなりません。女性天皇への抵抗の根強さも、この天皇制家族国家観から考えるとよく分かります。自民党草案や日本会議の動向に賛成を表明する一般の人たちが、どの程度、この辺りのことを分かっているのか。

 「一人ひとりが、個人として尊重される社会」とは孤立した社会ではありません。ただし慣れ合いの社会でもなく、一人ひとりが「連帯」へと努力しなければ、社会的紐帯は形成されません。第12条の精神と通じます。人と共に生きていくというのは、どんな共同体でも、面倒で我慢せざるを得ない部分があると思います。問題は、自分の意思でその在り様を選び続けられる共同体かどうかではないでしょうか。

ソクラテスの吟味(エレンコス)

 ソクラテスは紀元前469年から399年に生きたと言われています。彼が生きたアテナイは、ペロポネソス戦争(B.C.431-404)の敗戦と衰退に向かう時代にありました。アテナイの人々の心は空洞化し、価値相対主義が蔓延し、第2世代のソフィストたちが活躍していました。その一人、ゴルギアスの弟子のカリクレスはこういうことを言います。

「驕慢と放埓と自由、それが支えとなる力を獲得するとき、それこそがアレテ-であり、幸福なのです。それ以外の小賢しい飾りごとや、自然本性に反した人間同士の約束事などは、何の値打ちもない、たわごとにすぎないのです」(『ゴルギアス』)

 ソクラテスの問答法と「無知の知」はよく知られています。彼は対話を通して、アテナイの人々の心の荒廃に立ち向かおうとしました。ソクラテスは対話を通じて、相手の生き方、魂の在り方を吟味したと言われます。この吟味とか論駁をエレンコスと言います。古東哲明さんは『現代思想としてのギリシア哲学』(ちくま学芸文庫)のソクラテスの章で、次のようなことを言っています。

「エレンコスの目的は、たんに対話相手に彼自ら自分の考えの混乱と不整合を示してやることにつき、彼の確信している信念が他の同じ程度に確信している基礎概念と矛盾することを気づかせることによって、最初の信念への執着から解き放ってやるものである」(プラトン学者ヴラストスの言)。すなわち、知の開放性の態度を開いたわけです。しかしさらにヴラストスは次のように評価します。絶対主義でもなければ、なんでもありの相対主義でもない。その中間であるが、折衷主義でもない。「偽りの倫理的信念を持っている者はだれであれ、つねに、その偽りの信念の否定を必然的に帰結するような幾つかの真なる信念を、同時にもっている」とソクラテスは想定していたのではないかと。

 そして、古東さんは次のように締めくくります。ソクラテスは合理主義者でも、非合理主義者でもない。それはどちらも世界や生を人間という間尺で解釈する立場(ソフィストの視座)でしかない。ソクラテスは非知の位相(脱人間的次元)を守ろうとした。内証するしかない次元(非知)が問題だった。その人知のゼロポイントまで、人知を追い詰める作業。そこまでは言説の限りを尽くすが最後は黙して知るしかない位相への連行。そんな沈黙の方向へと実存姿勢(プシューケー)を向け変えることが、ソクラテスのエレンコスだった。

 時代背景の中で捉えるとき、ソクラテスの問答法は、アテナイの荒廃に立ち向かうソクラテスの悠然とした、しかし、切羽詰まった生きざまとしての吟味だったのだ思います。

 

実践か観想か

 「~とは何か」は物事の本質を問う、哲学的問い、思弁的問いの典型と言えます。これに対してフロネーシス(思慮)は、状況に即した知(実践の知)を生みます。実践を目指すのか本質を問うのか、どちらが重要? どちらも、と言ってしまえばそこで終わってしまいます。実践に役立つ知とはどういうものか。本質を問う知とはどのようなものか。実践知と言うと、技術的知識や常識のことでしょうか。本質を問う知といえば、哲学の中でも形而上学でしょう。

  アリストテレスのフロネーシス(賢慮・思慮)は「単に一つの能力ではなく、すでに一定の形をとった慣習的共同存在」(ガダマー『真理と方法 Ⅰ』30-31頁)と言われるようなものであって、常識としてのコモン・センスの源流とも言われます。では、アリストテレスにおいて、感覚の統合形態としての共通感覚と、常識に通じるフロネーシスはどのような関係を持っていたのでしょうか。

 ハンナ・アレントは『過去と未来の間』の「文化の危機」において、この関係について次のように述べています。アリストテレスはフロネーシスを洞察力と呼んで、哲学者の知恵から区別している。フロネーシスは政治家の第一の徳であり卓越である。「判断する洞察力と思弁的な思考の違いは、前者が私たちが通常共通感覚と呼ぶものに根差すのに対し、後者が絶えずそれを超え出るところにある」と。フロネーシスは共通感覚をベースに働いて、常識につながるわけです。

 ところでフロネーシスは実践知につながりますが、では思弁的思考との関係はどうなっているのでしょうか。思弁的思考の究極である観想とは、観ることそのもので、実践より上位に置かれています。しかし、徳を身につけること(ヘクシス)は最高善であって、幸福そのものであり、「よく生きること」と同じです。徳は実践でもあるわけですから、となると観想する状態よりも、実践知が身に付いている状態の方が上に来るのではないでしょうか。

 ソクラテスプラトンでは、よく生きることとよく知ることは同じでした。アリストテレスは、知っているだけでは実践できない、身に付いていないと本物の徳の実践ではなく、よく生きるとはいえないと言いました。身に付いている状態は、しかしながら、「それは何か」を知る行為よりも時間がかかるわけです。アリストテレスは、思慮の特性をただ普遍的なものを知るだけでなく、個別的なものをも知ることと結びつけていました。それゆえ若くして知者となる者はあっても、若くして思慮ある者となる者はないと言うわけです。状況に即した知とは、常識と関わっています。もろもろの常識は古びて硬化することもあります。常識はその意味で、いつでも状況に即した知とは言えませんが、偉大なる常識人と言われる人(希少)は、その境地を(しかるべき時に、しかるべき事柄について、しかるべき人に対し、しかるべき目的のために、しかるべきやり方で)生きる人とも言えます。

 アリストテレスは、思弁的思考のうち、形而上学的観想の知を求めることが最高善としての幸福だと考えていました。観想とは、永遠なるものを観ることにかかわる経験であり、マルクスニーチェヒエラルキーの順位を転倒するまで、西洋の哲学体系の最高位に位置していました。しかしだからと言って、アリストテレスにあって、実践の知恵(思慮)への配慮がなおざりにされたり、下位に位置付けられることで徳ある生活が廃れることを意味したとは考えにくいと、山口義久さんは『アリストテレス入門』(ちくま新書)の中で述べています。アリストテレスは、観想と実践の関係を明確に論じているとは言えないようですが。

 古代ギシリア以来中世まで支配した永遠なるものへの哲学者の経験は、アレントに言わせると、「人間事象の外部にのみ、そして人間の多数性の外部にのみ起こりうること」(『人間の条件』35頁)です。永遠なるものの経験は、人々の間にあることをやめることと同じであり、一種の死であると。それは、人間の活動的生活と政治的生活の源泉であり中核であった、不死への努力を忘却させたと言うのです。不死への努力とは、「死すべきものの任務と偉大さは、無限の中にあって住家(すみか)に値するものーー仕事、偉業、言葉ーーを生み出す能力」(34頁要約)を発揮するということ。つまり、人間的偉大さへの探求の努力のことでしょう。

 アレントは実践か観想かという問い方ではなく、不死対永遠という図式で人間の活動的生活を考察しています。思弁的思考(哲学)は「永遠」に魅入られて観想になり、人間的活動を「不死」の下に探求することを忘れてしまった、と言っていると思います。

本の読めるカフェ

 昨日、水戸駅のマックで、一時間くらい本を読んでいました。結構な込み具合で、ちょっと驚きました。高校生から、中高年の男性まで、幅広い年齢層の人たちが、入れ替わり立ち替わり入っては出て行き、スターバックスやサザ、エクセルシオールタリーズとは客層も店の雰囲気も異なります。ただ、水戸駅周辺でちょっと時間をつぶそうと思うとき、本を読みたいなと思うとき、意外にマックは手軽に入りやすいお店です。

 横に細長く帯状に空間が仕切られた座席のとり方や、トイレがきれいなことも大きいのかも。高校生はほとんど何人かで来ていましたが、大人世代はお一人様がほとんど。大人世代がつるむときは、もう少し静かなお店に入ります。マックのざわざわした雰囲気は、一人で本を読むのには気になりませんが、逆に大人世代のつるんでいる雰囲気は邪魔に感じます。エクセルシオール水戸駅の北口から南口へ抜ける通路に面していて、ゆっくり本を読む雰囲気になりません。北口のエクセル2階のスタバもお店のフロアに解放されていて、一人で本を読むという感じではありません。エクセル南のサザも、お店が狭いのと、エクセル南の出入り口に位置していて落ち着きません。

 ひたちなか市のジョイフル本多に隣接する蔦屋書店併設のタリーズには、時々行きます。ここは、書店から本を持って来て読めるので、買うまでもないかなと思う本や、楽しみながら少しずつ読みたいと思う本は、ここへ行って読みます。少しずつ読みたい本は、買ってしまうと一気に読んでしまうので。

 一人でボーとしていたり、本を読んだり、仕事したりする空間としてカフェは好きなのですが、なかなか思うような空間はありません。

民主主義は歴史の真理

 24日、憲法のつどい実行委員会がありました。5月3日のつどいの総括をしました。上映したドキュメンタリー映画『不思議なクニの憲法』(監督 松井久子)へのアンケートの中に、憲法への関心が広まらないことへの挫折感や日本の民主主義の先行きへの不安感も書かれていました。日本の民主主義、敗戦後の民主主義の導入ということで言えば、まだ70年です。民主主義が定着するのは、そんなに簡単な道のりではないと思います。これからもしかしたら状況はますます悪くなってゆくかもしれない。でもその泥沼を超えてゆかなければならないのだと思います。

 西洋発祥の民主主義は、本場ヨーロッパにおいて、古代ギリシアに始まり、時間をかけて熟成したものです。必ずしも暗黒時代という言い方は当たらない中世の長い時間。カロリング・ルネサンスは、8世紀末から9世紀初めにかけて、フランク王国で起こった古典文化復興運動です。しかし、中世は教会や封建領主が支配した時代です。続く絶対王政の時代。それら支配層との格闘の中から、思想変革、政治的な血の革命を経て、民主主義は市民の間に徐々に広まっていきました。

 日々、挫折感を覚えることは多いです。戦後民主主義がとても根付いたとは言えない状況の中、特定秘密保護法に始まる自由への見えない制約の始まり。安保関連法の成立施行、そして今回の共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の衆議院通過。でも、安倍内閣の支持率は、50%を切らない。これって何なのだろう、とやはり思います。数の力で押し切るやり方に、一般の人たちがそれほど敏感に反応しているとは思えない状況は、何? 諦め? 内田樹さんは、日本人の中にあるアメリカ依存体質を指摘します。日本人には「主権者である」という実感がない、と。

 非西欧社会における民主的(政治的)運営に関して、ネルソン・マンデラは少年の頃の思い出として、民主的な集会の在り方への感銘を自伝で述べています。民主的運営の仕方は、それぞれの文化の中にあったのだと思います。それと西欧流の民主政治の導入・強化における軋轢は、日本においても、現在喫緊の課題になってきているのでしょう。

 民主主義は歴史の真理だと言ったのは、オルテガ・イ・ガセットです。理性の真理とは別の真理がある。生命には、個人の流れと生命それ自体の流れがあります。個人の生命の真理は、理性によって導かれる部分が大きいかもしれません。しかし生命それ自体の理に適った在り方は、私たち一人ひとりの合理性の観点からは見通せない部分もある。歴史の真理、という言い方はそのことを言っていると思います。

 主権者という意識の前に、「私」の意識の成立もあいまいなのかもしれません。「私たち」のままで、日常生活は回ってきている。こういう状況の中、一人ひとりの「自己決定権」を大切にして、という医療や介護の現場の方向性はどこか空回りしている感じがします。ただ、それは私の感じる挫折感であり、あるべき方向への思い(希望)は託せるものだと思っています。黙々と眼の前のことに携わりながら、希望を持ち続けることで、世代を超えた真理は生き続けるのだと。「民主主義は歴史の真理」というオルテガの言葉を、私は「生命」の観点からも、理に適っていると考えています。

 映画を見た人たちの中から、自分たちでも自主上映をしようという動きが出て来ています。それは、憲法のつどいの大きな収穫だったのではないでしょうか。

カキツバタを活ける

 カキツバタを活けてきました。池坊の「生花正風体(しょうかしょうふうたい)」の様式です。いけばなは室町時代前期に、聖徳太子創建と云われる六角堂の僧侶、池坊専慶のさす花へ注目が集まるとともに始まりました。神の依代や仏前供花を超えた花の生け方に、「いけばな」文化が成立したと言われます。

 生花正風体は明治時代に成立した様式だそうです。普通の座敷の床の間に活ける小型のいけばなです。正風体は、真・副・体(万物の基盤である天・地・人)で構成します。中学生の頃、そして大学院時代に草月流を習いました。草月流では、真・副・控でした。

 生花(しょうか)は、立花が大広間などの公的な場に用いられたのに対して、私的な場に活けられた生け花でした。最初は様式を持たない、私たちが普通に花を花瓶に生けるような、そういう生け花だったようです。ちょっと息抜きの生け花だったと言っていいと思います。

 小座敷の普及に伴い、江戸時代中期に格式を持った床の間用の活け方として生まれ、普及しました。江戸後期には、生花に三つの役枝が決まり、型が整い、明治時代には正風体と呼ばれる手本が示され、習いやすく教えやすくなりました。でも、やってみると難しいですが。

 1977年には、池坊専永さんによって現代の生活に合った形の「生花新風体」が発表されています。生花(しょうか)の基本である、草木の命が現れ出る出生の美に注目する、それぞれの個性に注目することを守りつつ、より自由に活けるということらしいです。立花は自然の調和を重視した活け方だそうです。生花の基本とは、活ける人の個性を前面に出す自由花と違って、また草木の調和を重視する立花とも異なって、草木それぞれの個性を際立たせる活け方のことかと思います。創りすぎてはいけないということでしょうか。

 生花(しょうか)は確かに自然な草木それぞれを生かした様式美を感じさせる活け方です。私の活けた花がそうなっているかどうかは、クエスチョンですが。

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