宮内寿子「おはなしのへや」

日々、思うこと。

那珂市つるしびな展

 那珂市のつるしびな展に行ってきました。会場は二つしか回れませんでした。那珂総合公園内の歴史民俗資料館と中央公民館の前の曲がり屋です。帰ってきてから、マップを見たら、中央公民館でもやってました。残念。両方とも、ボランティアスタッフが会場運営をしていました。3月5日、今日までです。

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                 歴史民俗資料館のつるし飾り

 確かにお雛様をつるしているわけではないので、つるし飾りです。これらの飾りは趣味のグループが作っているそうです。古いものを処分していっても、毎年、少しずつ増えているとか。これだけぶら下がると、壮観です。

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 どちらも男雛が向かって右側にある古いものです。京雛の並び方です。日本の伝統では、南に向かって座って東側が位が高いことになるためです。これが明治維新以降変わりました。国際標準の「右が位が上」が取り入れられました。関東雛では、男雛が向かって左側に来ます。下は関東雛の並び方です。               

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         平成3年に茨城県郷土工芸品に指定された「桂雛」

 曲がり屋でもボランティアスタッフによって、つるし雛展が運営されていました。

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     曲がり屋のつるし飾り         会場になっている戸崎から移築された曲がり屋

介護とパーソナル・スペース

 介護の仕事の難しさは、他人との距離の問題でもあるかなと感じています。介護というのは、パーソナル・スペース(プライベートゾーン)に入ってゆく仕事ですから。 

 パーソナル・スペースというのは、「なわばり」と言ったらいいでしょうか、他人に近づかれると不快に感じる空間のことです。これは文化によっても、性別、個人の性格、相手との関係によっても差があります。一般に女性の方がパーソナル・スペースは狭いと言われています。でも、20年以上前にスペインに行ったとき、男性同士が手を繋いでいて、びっくりしたことがあります。あとから、スペイン人の間では、男同士が手を繋いでいても、別にゲイとは限らないと聞かされました。

 文化人類学者のエドワード・ホールは、人と人とのコミュニケーションの距離である対人距離を、大きく4つに分けました。密接距離(0~45センチ)、個体距離(45センチ~120センチ)、社会距離(1.2メートル~3.5メートル)、公衆距離(3.5メートル~7.5メートル)。密接距離はごく親しい人同士の距離です。個体距離は相手の表情が読み取れる距離で、二人同士の会話が行われる場合が多く、他人が入りこみにくい雰囲気を作ります。

 社会距離は手は届きにくいが、容易に会話できる距離です。会話のしやすい社交的距離とも言えます。公衆距離は、講演者と聴衆の関係のような距離です。この距離では会話はできません。話者と聴衆の間に理性的関係は成立しますが、話の途中で自由に質問する雰囲気はありません。

 私たちは通常、この距離感を意識していませんが、自分の持っている「自然な」距離感が侵されたりすると違和感や不快感を持ちます。また、関係が微妙に異なると、距離感や言葉使いが変わります。個人的に親しいわけではない人が、密接距離に入ってくれば、無意識のうちに距離を取ろうとします。満員電車の不快感は、頭では仕方ないと分かっていても、感情的には承認できない現れです。

 介護という仕事の難しさの一つは、私たちが「自然に」持つこの距離感にある気がしています。まさに介護はパーソナル・スペースに入りこむ仕事ですから、互いにどこかで少しずつ無理をしているわけです。ではどうするのか。認知症介護のプロ大谷るみ子さんが、「相手の世界にお邪魔する」と言っていた言葉の意味が具体的に少し分かった気がします。

 大谷さんはまた、「介護はファンタジー」とも言っていました。私たちは介護とは食事・排泄・入浴介助と思いがちです。その重要性は否定できません。でも大谷さんは「本当のその人を理解し、心をかけることこそが仕事」「心は生きている」と言います。上手く自分の思いを伝えられなくなっている人の世界を理解するのは、想像力を必要とすると思います。

 私たちは大人同士のとき、相手の世界をひたすら理解しようという努力はしていないと思います。それでも会話は回ってゆきます。行動もつながってゆきます。それぞれが自分の理解の範囲で相手を理解しても、それほど問題が生じない。このように普通に関係が保たれているのは、言語ゲームの規則を私たちが当たり前に踏襲しているからでしょう。

 認知に問題を抱えた人たちの世界を理解してゆくには、その人の生きてきた道程に思いを馳せ、共感能力を発揮する必要があります。自分と全く同じだから分かる、のではなく、自分と異なる人生を歩んできた人の、異なりつつも同じものをどう直感するのか。その意味で「介護はファンタジー」なのでしょう。ただし、この言葉の意味を実感するには、もう少し時間がかかりそうです。

国家とは何か

 トランプ大統領が、2月28日夜(日本時間3月1日午前)、連邦議会の上下両院合同会議で、初めての施政方針演説を行いました。「私の仕事は世界を代弁することではなく、米国を代表することだ」と述べたようです。

 日本の予算委員会では、森友学園に大阪豊中市の国有地が格安で売却された問題が紛糾しています。安倍首相夫人昭恵さんのこの学園への関与も問題視されています。開校予定の小学校の名誉校長を引き受けていた(問題発覚後辞任)こと、同学園系列の幼稚園(園児に戦前の「教育勅語」を暗唱させるなど)の教育方針に賛同していたことも、取りざたされています。

 国家とは何なのか。ふるさと共同体とは別のものです。ふるさと共同体は自生的性格を根強く持ち、自然に感情的な忠誠心が育てられます。国家は操作的社会的単位であって、教育などを通じて、人為的に愛国心などの忠誠心を培うことになります。社会的単位としての国家の消滅は、それ自体では必ずしも個人や家族の生存に脅威をもたらすものではありません。ソビエト連邦は崩壊しましたが、そこに生活していた人々やその文化が消滅したわけではありません。

 ですから、社会的単位としての国家はそれを形成し、維持してゆくためのいろいろな仕掛けが必要になります。1890年(明治23)10月30日に発布された「教育勅語」もそういう仕掛けの一つです。教育勅語自体は幼稚園児が理解できるような内容ではなく、いわゆる「読書百遍意自ずから通ず」的教育方法です。論語の学び方ですよね。でも、言葉がそういう風にして入っていくのは、とても重要です。まずは暗唱する。内容がその時すぐに分からなくても、吟味される必要があります。

 「教育勅語」は、明治政府が国民の思想統制のために作りました。日本という国は天照大神から歴代の天皇によって作られ、そこに教育の根源があるとまず言われます。次に徳育の14の項目が並べられます。親孝行し、兄弟仲良くして、国の法律を守り、国が危うくなったら命がけで、天皇の世を助けなければならない、と説いています。最後にこれらは歴代天皇の遺訓であって、普遍性妥当性があると結ばれています。

 この「勅語」は神聖視され、「勅語」謄本に拝礼を拒否した第一高等中学校講師の内村鑑三が、その職を追われるという事件も起こりました。国民への浸透には、小学校が最大の役割を担いました。この教育勅語体制は1945年8月の敗戦で、占領軍からの指令と教育関係者自身の反省から、解体を求められます。「勅語」の精神は平和的で、それが軍国主義者に悪用されたと発言する人たちもいました。しかし、日本国憲法教育基本法の公布によって、「勅語」はこれらと矛盾することが明確になりました。そこで、1948年6月、衆議院で排除、参議院で失効確認の手続きが行われました。

 かつて、明治政府は地域共同体の中に包み込まれていた子どもを、共同体から切り離し、「家」の子どもとし、学校教育の中に取り込んでゆきました。例えば、地域共同体の中での子どもの遊び(「めくり」、「子ども手踊り」、「演劇」など)が統制の対象として、禁止令が出され、廃止されました。その代わりに、ルールに基づく競技や体操など、規律・訓練の対象になるものが学校教育の中に取り入れられました。この「身体の調教」、ミシェル・フーコーいうところの近代に特有の「社会の軍事的夢」は、明治初期に始まっています。教育勅語は、その流れの中での徳育の強化による「仕上げ」でした。

 グローバリズムが様々な問題を引き起こしていることは事実です。しかし、だからと言ってかつての世界大戦への道を、もう一度歩みたいと思っている人は多くはないと信じています。そして、たとえその信念に一理あったとしても、そのために手段を択ばなくていいことにはなりません。ごまかしから、真正なものは生まれない。

 私たちは、何を望んでいるのか。一人ひとりの生活が成り立ち、人間として尊重されることは基本だと思います。そのための平和と基本的人権の保証は、経済的安定と同じくらいに重要です。国家の行く先を決める政治、難しいなあ。

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2016.11.21 渡良瀬遊水地 谷中湖の中の島        2017年2.22 水戸市吉田神社の梅

 

記憶とあるがままのものとの出会い

 幼児と高齢者には親近性があります。その一つが、繰り返しへの熱意。

 小さな子どもは、飽きずに同じことを繰り返します。同じような喜び方をしながら、何度も何度も「いない いない ばあ」をします。私は5回くらい付き合うと疲れてしまいます。これは何なのかな、と思いました。高齢者は繰り返し、同じ話をします。私たちはつい、「その話聞きました」と言ってしまいます。認知症状が出ている人の場合、何度も同じことを聞いたり、言ったりします。始めて話すときの熱意をもって。そして同じ光景を見ても、その都度、新鮮な驚き方をします。

 彼らは、私たちの記憶が邪魔をしている「体験の一回性」「今を生きる」ことを実現させているのだと思います。幼児は繰り返しの中で、何度も何度も「事実」と出会いながら、外の世界を確認しています。高齢者や認知症状が出ている人たちも、飽きることなく繰り返すことで、「今を生きる」ことをしているのでしょうか。

 クリスティーン・ブライデンさんは若年性アルツハイマー病の診断を受け、後に前頭側頭型痴呆と再診断された人です。彼女は、痴呆を病む人の側から発言し、自らの世界を表現しています。彼女は2冊目の本『私は私になっていく 痴呆とダンスを』(クリエイツかもがわ)の中で、記憶と自分であることの関係をめぐって次のように言っています。

「私たちにとって人生といってもいいような記憶。その記憶という大切な真珠をつないだ糸は切れ、真珠はなくなってしまった。だが私たちは痴呆と格闘しながら新しい真珠を手に入れた」

 痴呆を持つ人たちは、一緒に生きる人と、ただ「今」を強烈に経験することだけができる。だから、この時を大切にすれば共に真の自分を受け入れるということを分かち合える。

「痴呆を持つ人は、ひとりひとりが、生きることについて多くの智慧を持った、贈り物である。その贈り物の美しい箱の紐を解き、開けるのは、本人のまわりにいる人びとだ」

 記憶力は、望ましいものと思われています。しかし記憶は、私たちの生活から新鮮味を奪い、生活を繰り返しのつまらないものにもします。その意味で、まだ記憶力が育ち切れていない幼児や記憶力が衰え始めた高齢者や認知症状を持つ人は、記憶から解放されることで、今あるがままのものと繰り返し接触しているのでしょう。

 J・クリシュナムーティは『自我の終焉―絶対自由への道』(篠崎書林)の中で、「記憶はあるがままのものを理解する障害となる」と言っています。「技術的な事柄の記憶は必要欠くべからざるもの」だけれども、心理的な記憶は「生活の理解や、人間相互の親交に有害な作用を及ぼす」と。心理的な記憶とは、昨日見た梅林の美しさとか、友人の自分に対する態度などです。そういう記憶は、今日見る梅林への感激を薄れさせ、今日のその友人との出会いを邪魔します。

 マインドフルネスとか座禅の境地が目指しているのも、このような心理的な記憶からの解放と言っていいと思います。自分の心を心理的記憶から解き放って、今この瞬間の体験に注意を集中させる。そこにあるがままのものとの出会いが生まれる。大学生時代の一泊二日の座禅体験後、駅のホームでした経験の意味が少し理解できました。駅のホームで帰りの電車を待ちながら、線路に落ちていた紙が風で舞い上がるのを見て、その美しさに見惚れました。そして生きているって素晴らしい、とその瞬間感じました。

 あるがままのものを見るとかあるがままと出会うということは、簡単なことではありません。幼児や高齢者、認知症状を抱えている人が教えてくれているものの一つなのかもしれません。

感情的囚われからの解放

 他人からの評価は気になるし、その意味でも人間関係に悩む人は多いと思います。かくいう私も、職場の人間関係は難しいと感じています。距離のとり方の難しさでしょうか。人にはその人なりの「こころの癖」があり、それをスキーマと呼びます。これがそれぞれの思い込みの世界への閉じこもりの引き金になるようです。私の場合は、深読みの傾向があり、基本感情移入しすぎないことが、ポイントなのかもしれません。以下、大野裕さんの『初めての認知療法』(講談社現代新書)を参考に特徴的な「こころの癖」を羅列しておきます。

 1)思いこみ・決めつけ。「いつも」とか「必ず」というような決めつけ言葉が入っているときはその傾向あり。2)白黒思考。あいまいな状態に耐えられず、割り切ってしまおうとする傾向。3)べき思考。現実を無視して、「何があろうとこうすべき」という考えに縛られ、あれこれ悩む。4)自己批判。カラスが泣くのはカラスの勝手でなく私のせい、というようになんでも自分に問題ありと考えてしまう。5)深読み。相手の気持ちを一方的に推測して、悪い結果を勝手に読み取り、決めつけてしまう。6)先読み。自分で悲観的な予測を立て、結果、失敗を繰り返す。

 では、自分の思い込みから解放されて、現実に目を向け、自分の考えと現実を見較べるためにどうするか。例えば、失敗したときは、事実と感情を分けることが大切だと思います。事実と感情を分けるためには、「観察・記述」が重要です。仕事において失敗したら、原因を探って、どうすれば失敗しないかの自分なりの工夫をすればいいわけです。評価を下げたのではないかと考えたり、あるいは注意を受けて落ち込む前に、起こったことを観察し記述し続ける。事実を見つめ続けることで、「真実」が見えてきます。失敗はむしろ学びのチャンスです。

 と言ってもなかなか、そういう気持ちの切り替えができなかったりします。そこで、感情に囚われずに観察し続けることができるためには、自分が何のためにこの仕事をやっているのか、目的は何かを明確にしておく必要があると思います。初心に帰る、という言葉がありますが、立ち戻る原点は重要です。落ち込んだとき、マンネリを感じるときなど。

 大体、失敗したときは全体的に判断する力が落ちて視野狭窄に陥りがちです。あるいはそういう状態だから失敗するとも言えます。自分のこころが負の感情に支配されないために、観察し続ける必要がありますが、そのとき、目的や目標は失敗した「今」から、少し未来へ気持ちを切り替えるという役割を果たすと思います。ただし、目的・目標に囚われすぎると「今・このとき」の現実が見えなくなりますが。

福祉と幸福

 福祉は英語でwelfare。健康で快適な生活を含めた意味での幸福(happiness)を意味します。

 幸福は主観的なものと客観的なものに分かれ、主観的な幸福とは内的満足のことです。客観的幸福は幸運と同義語で、満足を考慮しない達成した目的そのもの、善そのもののようなものです。主観的幸福も立場によって、精神的充実を意味するか、快の充足を基本にするかなど、微妙に定義が異なります。

 三木清の『人生論ノート』には「幸福について」という一文があります。彼は幸福は人格だと言います。そして人が外套を脱ぎ捨てるように、いつでも気楽に他の幸福(富とか栄誉とか)を脱ぎ捨てることのできる人が最も幸福な人だと。

「彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である」

 そしてその幸福は常に外に現れ出て、他の人を幸福にする、と言われます。機嫌のよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なことなど。

 私の好きな幸福論の一つです。でも、快い暮らし向きを目指すことから始まる福祉もまた、人間の幸福の条件として大切だと思っています。確かに、暮らし向きがよいだけでは、人は幸福ではないのかもしれません。幸福には充実感が大きな役割を持っていると思います。しかし、その充実感は、普通、日々の暮らしに集中できないと得られないでしょう。貧困も私たちの世界では、絶対的貧困状態よりも、相対的貧困状態が問題です。快い暮らし向きとはどういうものか、考えておく必要があると思います。

政治の責任

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されている自衛隊の即時撤退を求める集会が、17日東京都千代田区の衆議員第一議員会館で開催された、と新聞報道されていました。

 昨年7月11日、12日の陸上自衛隊の日報は、昨年末時点では、破棄されたと言われていました。一転、2月7日、一部黒塗りで開示されました。日報には、ジュバでの当時の大規模衝突で270名以上の死者が出ていた状況が「戦闘」と記載されています。これに対し、稲田朋美防衛相は戦闘ではなく「武力衝突」であると答弁しています。

 17日の集会では、このような言い換えで切り抜けようとする政府への不信感が、あらわになりました。政府は、結局、国民に何も知らせようとしていないのではないか。まさに「由らしむべし知らしむべからず」(『論語』)。自衛隊員のお母さんで「平和子(たいらかずこ)」の名前で、南スーダンへの派遣に反対する活動をしている北海道の女性が、自衛隊派遣の即時撤廃を訴えました。

 このような言いかえは政権が多用しています。「共謀罪」は(一般市民は関係ないと言われていたのにどうも処罰対象に入っているような)「テロ等準備罪」、「安全保障関連法」は(戦争に巻き込まれる可能性は高くなっているのに)「平和安全法制」、昨年12月の沖縄県名護市沖でオスプレイが大破した事故を、翁長雄志知事が「墜落」と表現したら、それを「不時着」と主張。6日後に地元の反対を押し切って、オスプレイの飛行は再開されました。政治の責任とは何なのでしょう。

 現場の責任感が、事態を何とか最悪に至らせなかった事例を二つあげます。一つ目は2011年3月11日午後2時46分、「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」という遠藤未希さん(24)の防災無線での呼びかけです。彼女は、宮城県南三陸町の町職員でした。30分後、職員に避難指示が出されましたが、津波後、屋上で確認された10人の中に遠藤さんの姿はありませんでした。町民約1万7700人の半数近くが避難して助かりましたが、彼女はその職責を全うする中で、命を落としました。9月に結婚の予定だったそうです。

 ひたちなか市も3.11の時には、被害を受けました。そして今なお、東海第2原発廃炉問題を解決できずにいます。3.11の時にも、津波(5.4メートル)があと70センチ高かったら、電源喪失の事態を迎えるところでした。ディーゼル発電機冷却水を送る水中ポンプ室を覆っている6.1メートルの壁は、震災1週間前に出来上がったばかり。しかも大きな壁の穴を埋めたのが3月9日。しかし、隙間から入った水で3台ある非常用発電機のうち1台が使えず、2台で凌ぎました。ただし力不足で、自動での操作がうまくゆかず、170回手動でコントロールしたそうです。

 上二つの事例は、現場の責任感が状況を最悪に至らせなかった例です。しかし、政治は、現場の職員たちが、命がけになる事態を出来るだけ減らす責任を持っているのではないでしょうか。政治家は政治の責任をどう考えているのか。どうも市民の生活を守ることを第一義には考えていないようです。「大きな視点で見て」と言われそうです。でも「神は細部に宿りたもう」。

 アビ・ワールブルクの言葉として知られています。出典は定かではありません。古代ヘブライ世界に由来するとか、中世哲学では有名だったとか言われています。細部に拘泥することを言っているのではなく、細部からこそ全体が見える、あるいは細部をないがしろにしないことで、真の全体が組み立てられるというような意味のようです。ミシェル・フーコーが『言葉と物』なかで、「神の視点では、どんな無限の広がりといえども一つの細部より大きいわけではない」と書いています。

 施設で火事の避難訓練がありました。その時に感じたのは、これでは何かあったとき逃げられない、ということでした。そして職員もまた、逃げられない、と。自然災害にももちろん備える必要がありますが、人為的な、避難を余儀なくされる状況は備える前に、改善できるものは改善すべきだと思っています。市民一人ひとりの生活の基盤を守ってこその政治ではないでしょうか。

h-miya@concerto.plala.or.jp